渋谷の避暑地から
番田 

生きているということは何も意味を持たないのだということを思っていた。毎日、限られた人とすれ違う日々の中で、接点を持つ人自体が、ごくわずかだ。接点を持つこと自体にあまり意味はないのだから、それを望まないような人もいることだろう、今の社会において、それは十分に可能なことではある。窓を開ければ、遠くをすぎていく車の、渋谷の何の変哲もないカーブに消えていく車のように、そこで生きているということは妙に未来的ではあった。同じような光景であっても、上野で見るものとはだいぶ違う趣に見えるカーブ。グーグルのビルも、近くに、でも、そびえている。窓を閉じて眠ろうと思ったが、冷房を消すので、そうもいかない。外国人選手が倒れる事例も、今後は増えるような気がしていた。


散文(批評随筆小説等) 渋谷の避暑地から Copyright 番田  2021-07-26 01:31:52
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