すすき野原で見た狐
板谷みきょう

『畜生の分際で、人間はおろか、この閻魔さえ、騙そうとするとは不届き千万っ!申し開きなんぞ、聞く耳、持たぬわっ!』
 浄玻璃の鏡に、生きていた頃の姿が映し出されても、与一はムシロの上に座ったまま、うなだれて微動だにしなかった――。

 一人の男が、日の照りつける一本道を、荷車をガラゴロと音を立てながら歩んでおりました。
荷車の上には、ガラクタの様な古い物が、山のように積まれておりました。
よく見るとそれは、埃にまみれてはいましたが、ありとあらゆる宗教に使われている様々な飾り物のようでした。
汚れた着物を、幾重にも着込んだ男の風体は、まるで物乞いの様な有り様でした。
少しづつ急になっていく坂道を、疲れた様に重い足取りで、汗を流し、息をハアハアさせながら荷車を引いて、それでも歩いておりました。
行き先は、生まれ故郷の貧しい村でありました。その村は、平地のない山の斜面に、すすき野原に囲まれてポツンと小さくありました。

 男の姿を最初に見付けたのは、一匹の狐でありました。
 「おやっ。めずらしい事もござっしゃる。村を出て行く者は、今までにも、たあんと、見掛けたことがあるが、村を訪れる者がござっしゃるとは……。それにしても、なんて変てこな格好をしてござっしゃろう。汗だくで引いている荷のなかみは一体、何なんじゃろう……。残念なことに。とんと、見当もつかん。」
 狐は、すすきの葉かげからこっそり覗きこんだ後に、顔をひとこすりしたのでありました。それから、ひらりと身をひるがえしたかと思うと、その姿はもう何処にも見当たりませんでした。
 そこはもう、年寄りばかりが目に付く村でありました。
その事に気付いた男は自分も又、食うや食わずの暮らしに耐え切れず、村を捨てて、逃げ出していった若者の一人であった時分を思い出しました。
男の名は、与一と言いました。村はずれにある稲荷神社の一人息子として生まれ、かつて、跡取りとして、大事に、大事に、育てられていたのでありました。
 お稲荷様の社は、雑草がボウボウと生い茂っており、寂れ果て、今では誰一人として訪れる事がなく、見る影も無くなっておりました。
与一は、社の前でひとしきり佇んでおりました。
茜とんぼが、つーいつーいと飛び交っておりました。
空にたなびく薄い雲が、紅いに染まって風にゆっくりと流されて行き、心なしか男の背中は、微かに震え、頬は濡れている様に見えました。

それからしばらくして、村の中央で叫ぶ与一の姿がありました。
 「わしは長い間、方々の村や街を、旅して回って来た。けれど、どこの貧しい村々も、ここよりはずぅっと、ましな暮らしだった……。みんな、聞いてくれ……。わしは、この村に食べる物を、持って帰って来たんだ。これを見てくれ!これは、ジャガタラと言う食べ物の種だ。これで、この村も飢える事が無くなるはずなんだ。どうやって食べるかは、わしが知ってる。本当だ……みんな。本当なんだ……。」

 しかし、村の年寄り達は、村を捨て去って行った与一の帰郷に戸惑いを隠せませんでした。
誰も端から疑い、この男の話を信じる者は居ませんでした。
夢の様な事を目の前で話している男は、確かにかつて生まれ育ったこの村を、捨てて逃げて行った男の一人なのですから……。
それに、荷車に積まれた山の様な荷物といえば、何の役にも立たないガラクタの様な物と、男がジャガタラと呼ぶ到底、腹の足しにはなりそうもない訳の分からない物だったのです。
しかし、その時、村の長がそっと村の年寄り達に、ささやき諭した。
 「与一は旅の途中で気がふれてしまったに違いない。考えてみれば、ふた親を亡くしてしまった不憫な男だったじゃないか。結局、帰るあてもなく、この故郷の村に、帰って来たに違いあるまい。なぁ。皆、どうじゃ。どうせ、お互いに食えない者同士じゃて。わしらが、この男の面倒を、見てやろうじゃないか。」
 その一言で彼は、また再び、この貧しい村に、住み込む様になった。
もともと有ったお稲荷様の社の中は、今では、荷車から降ろされた十字架やマリア観音や仏像、観音像、神棚や曼陀羅図などが、所狭ましと置かれ、祀られる様になっていた。与一は、社のまわりの畑作りを始めると、早速、ジャガタラの種を植え始めました。

 「神様、仏様、生きとし生ける者すべてのいのちが、あなたのお望みに叶いますよう、何卒、何卒。そしていつか報われますように、誠に、誠に。おん願い、申し上げ奉ります。」
 日が昇ると、お天道様に向かって手を合わせ、そうして与一は、おもむろに社の回りに作ったジャガタラ畑の世話を始めます。
そして気が変わると、野山に咲いた花や木を見たり、畑仕事をしている村人の姿を眺めたりして、過ごしておりました。
与一の面倒は、村の者みんなが、それぞれに見てやる様になりましたが、それが、そもそも当たり前の様に、いたってのん気に暮らしておりました。
 「神さまでも、仏さんでも鰯の頭でも、信心というものが、有り難いもんなんだ。あのジャガタラも、いつか実を結び暮らしの救いに、つながるに違いないんだ。」
 与一は、ジャガタラ畑の世話を終えると畑仕事をしている村人達にそう言っては、その日一日の食べ物やらをめぐんでもらい、施しを受けているのでありました。
そんな有り様を見て村の者たちは、だんだんと与一のことを、怠け者の変わり者として、誰も相手にしなくなっていったのでした。

 季節は移り変わり、村人達の畑でも僅かながら実りがありました。しかし、社の辺り一面に花が咲き乱れ、その花が散るころになっても、ジャガタラの実のなる気配はありませんでした。
「何故だ……。何故なんだ。どうしてジャガタラは、実を結んではくれないのだ。」その訳は、与一自身もわかりませんでした。
「のォ、与一よ。お前さんが言うとったジャガタラというモンは、いつ実ってくれるんじゃろうのォ…。」
 見るからに肩を落とす与一に向かって、村の意地悪な者は、そう言っては与一をからかい、笑い者にしておりました。

与一は、そんな言葉に逆らう様に、一人黙々と、朝起きては、畑で草を刈ったり水を撒いたりと、ジャガタラの世話を続け、それが終わると村のあちこちを歩き回りました。
そうして村人を見付けては、声をかけ、訳の分からない神様やら仏様やらの話をしておりました。
 「人一人が、両の手を合わせて、思案しても、天に願ってみても、それは、人一人の願い事に過ぎないだろう。そのことに気付いてみれば、解ることだ。さあ、手をつないで、お互いにみんなの力を信じよう。それぞれが、それぞれに。今、願うことの有り難みを感謝しよう。」
 そう言うと、与一は老若男女にかかわらず、歩いている者や、野良の最中の村人の手を握りました。
それが又、与一の変わり者の噂をより一層、際立たせたのでした。
見兼ねた村人が、小さな仕事を見付けて、働くことを勧めても、耳を貸すこともなく、いつまで経っても一向に、気にする風でもありませんでした。

 すすき野原では、日が沈みかけると、すすき野原一面が真っ赤に染まり、風がすすきの穂を揺らすさまは、まるで燃えている様でした。

そこには、狐が一匹住んでおりました。
村人を化かしたり、騙したりした事の無い、化けることが出来ない狐でありました。
「『狐ハ、人ヲ騙シ、化カスモノ』と決めつけたのは誰で、ござっしゃろう……。」

 狐は、毎晩、毎晩、月明かりの下で、汗まみれになりながら、尚、化けきれぬ己れを悔やんでおりました。
そして、己れの力のなさに、いつしか頭の中には、悔やしさや情けなさやあきらめの気持ちが満ち溢れ、その想いが、声となって、渦巻いていたのでありました。

 与一は、いつものように、村の家々を訪ね歩いていました。
珍しく帰りが遅くなった月の、まことに明るい晩、ついでに、野山を歩き回って、すすき野原を通り過ぎようとしたその時です。
すすき野原の中で、木の葉を頭に乗せて、クルクルリと宙返りをして化けている一匹の狐を見掛けました。
 「おやっ、こんなところで狐の化けるところが見られるなんて、珍しいことだ。どうれ、しばらく見物させてもらうか。」

 気付かれないように覗いていると、どうやら木の葉を一枚一枚、頭に乗せ変えては後ろ回りや前回りをしているのです。
人間に化けようとしているようなのですが、それは、それは、ひどい有り様でした。
何故かって、どれひとつとして満足な人間の姿に、化けられてはいなかったのですもの。
尻尾が残っているばかりか、髭がそのままだったり、耳が化け残っていたりしているのですもの……。

 狐は、明るい月に照らされながら、そして天高く雲が微かにたなびき、凍える様な冷たい風が吹き始めても、止めようともしないで、汗と泥にまみれながら、木の葉を変えては、一生懸命に、クルリクルクルと化けようとしているのでした。
しかし、与一にとっては、どうにも歯痒く、いつの間にか拳を握り、一生懸命狐を応援していたのでした。
「どうにも要領の悪い狐だ。頑張れ。頑張れ。」
 いつしか、寒さで肩がすぼまって、二の腕が体を自然に抱き始めていましたが、それでも与一は、狐から目が離せませんでした。
何故かは解らないまでも、心をつき動かせる何かが、その姿から満ち溢れていたからでした。
与一は、その懸命な姿に、何故か、心を惹かれている自分に、気が付きました。木の葉を、とっかえひっかえしながら、懸命な狐の姿に、与一は何とか手助けをしたくて、仕様が無い自分に、気が付いたのです。

 「そうだ、そうだ。これからは野山を歩く時に、あそこ、ここの雑木林から、色々な木の葉を集めて、狐の来る前に、すすき野原に置いておけば、きっとあの狐の某かの役に立つに違いない。」

 くぬぎ、なら、くり、もみじ、さくら、その他、兎に角、すすき野原へ行く時に、与一は目に付いた木の葉を、何でも取ってきて、持って行きました。

その時から、与一の一日の日課に、木の葉集めと狐の化けるのを眺めることが加わったのです。
 「不思議なこともござっしゃる。こんなにもたくさんの木の葉が、一体どうしてあるのじゃろ。」
狐は、小さく繰り返し呟いておりましたが、やがて村の社に住む変わり者の与一が、運んで来るのを見掛ける様になりました。

初めのうちは、与一が持って来た葉には、目もくれなかった狐も、やがて、与一が運んで来る様々な木の葉を使って、前回りや後ろ回りをしながら、化けてみるようになりました。

 そんなある日、狐がとうとう人間の姿に、化けられる日が来たのです。しかし、喜びもつかの間、化けられる人間の姿は与一の姿に限られていて、それ以外の人間にはどうしても化ける事ができないのでした。
「やっと曲がりなりに、人の姿に化けられる様になったというのに…。よりによって与一の姿にしか化けられぬとは、不思議なこともござっしゃる。」
 狐が人間に化けた時の姿を目の当りにして与一は、大喜びでした。
しかし、その姿が自分の姿でしかない事に、しばらくして気が付くと、複雑な気持ちになりました。

だけども、兎に角、まがりなりにも人間に、化けられる様になったのですもの。めでたくない訳がありません。与一は、隠れていたすすきの穂かげから、ぬっと立ち上がると、手をたたきながら、大きな声で叫ぶように言いました。
「おーい狐よ!わしだ。与一だ!めでたいなぁー!祝いに、イチゴを持って来るからな。なぁーに心配はいらん。せせらぎの峰の季節問わずのイチゴだぞォ。祝いじゃ、祝い。必ず行って採ってくるからな。」

 次の日、与一は、祝いのイチゴを添えるために、暗いうちから起き出しました。陽が昇る遥か前に、社の前にこんな貼り紙をして、遠出の支度をして与一は社を後にしました。それほど、遠くにあるのです。

 『村ノ皆サマ、シバラク留守シマス。二、三日デ帰リマス。』

季節問わずのイチゴは、山をひとつもふたつも越えた、せせらぎの峰まで行って探さなくてはなりません。
人間が一度だって入り込めたためしも無い、せせらぎの峰に、与一が行くと聞いて、狐は気が気ではありませんでした。
村人は、気ままな与一のことだからと、何処へ出掛けたのかすら、気に留めるものはいませんでした。

 狐は、せせらぎの峰へ出掛けた与一を追いかけて居ました。川を渡り山を越え、掻き分け、掻き分け、進んだであろう道なき道の獣道を、探して回りました。
 太古の昔から、解けた事のない雪を、頂にかぶる雄々しく、そびえているせせらぎの峰が、ぬおっと眼前に現れた姿を見上げた与一は、軽率な行動を、ちょっと後悔していました。

「はてさて、この峰の何処に季節問わずのイチゴがあるのやら…。」
与一は、少し怖気づき尻込みしましたが、それでも、峰へと歩を進めたのでした。
狐は、生い茂ったうっそうの草の群れを、与一が掻き分けたであろう跡を見つけ、それを頼りに駆け抜けていました。

「何も、静かな長い眠りの峰に、こんな私の為に、季節問わずのイチゴを採りに来ることも、ござっしゃろうものを…。」

吐息が白く白く、中空に張り付いてしまうように、狐の想いと共に、まあるく残っては、そっと消えていきました。
与一が、もうすっかりと、万年雪の見える麓に辿り着いた頃には、凍えに慣れていました。
いつの間にか、辺りには、雑草のひとつも生えていない、剥き出しの荒涼とした山岳が続いております。
狐は吹きすさぶ風の中から、与一の匂いだけをかぎ分けながら、荒れ果てた灰色の中を駆けて行くのです。
 与一は、キンと尖った冷たい風の抜ける道で、季節問わずのイチゴを見つけたのでした。
誰の手にも届かないように、イチゴは、崖の中腹の少し突き出た断崖に、群生しているように見えました。
改めて与一は、深いため息を漏らしましたが、化けられるようになった狐を思うと、矢も盾も堪らずに、真っ直ぐな崖に向かって行きました。
 崖は険しく、登っていくにつれ、爪は割れて剥げ指先は血にまみれていましたが、あまりの冷たさに感覚すら失せているのでしょう。
額にはうっすらと汗さえ浮かべて、与一は、登り続けたのでした。
そうして、手も足も凍え、やっと手にした、小さく白い、季節問わずのイチゴを、かじかんだ指先で、幾つも摘んだのでした。ほんの少し濡れたような、季節問わずのイチゴでした。
 狐が与一を見つけたのは、それから暫くの時を経てからでした。
ボウボウの草の中に、与一は横たわっていたのでした。
日の当たっていないような、季節問わずのイチゴを、血まみれの手で握ったまま、ピクリとも与一は動きませんでした。

彼の手の中で、萎んだような白いイチゴでした。
狐は、イチゴを与一の手の中からつまみ取ると、口に放り込みゆっくりと噛み締めてみました。
 「なんと酸っぱい。そして土臭い白イチゴじゃろ。こんなものの為に、命を落とす事もなかろうものを…。」
 狐は、小さな声でそう呟き、草の上に横たわる、血にまみれた与一の手を掴みました。村人の誰にも気付かれないで、せせらぎの峰で独り、与一が死んでしまったのです。
どんな訳であろうとも、気に留められずに、気付かれることもない死にざまに、狐の心は、すっかり悲しみに満ち溢れ、いつしか村人への憤りとなって、胸一杯に溢れ出し、狐は夢中で駆け出していました。

気が付くと、月明かりのすすき野原に、ぽつんと佇んでいました。
ぶなの葉を頭に乗せて、くるりと後ろ回りすると、狐は、与一に化けました。
狐にとっては、一生を掛けた一世一代の大化かしです。二度と狐に戻る事の無い様に、残った尻尾を切り落としてしまいました。そうして、朝日が昇るとお天道様に向かって手を合わせました。
 「神様、仏様、生きとし生ける者すべての、いのちが、あなたのお望みに叶いますよう、何卒、何卒。そして、いつか報われますように、誠に、誠に。おん願い、申し上げ奉ります。」
山や野や川を、のんびりと歩き回り、畑仕事をしている村人に逢っては、「神さまでも、仏さんでも、鰯の頭でも、信心というものが有り難いもんなんだ。あのジャガタラも、いつか、実を結び、私達の暮らしの、救いに、つながるはずだ。」
 そう言いながら、施しを受けては、一日の糧を求め、いつもジャガタラを植えた社の回りに作った畑の世話をして、暮らしておりました。
与一に見間違う程の狐の仕草には、村の者は皆すっかりと騙されておりました。
ある日、「のぅ、与一さ。居るかいのぅ。おやっ、誰も居らん。」
与一を訪れた村人が、社のすみに、何やら大切そうにしまわれている包みを見付けました。
「与一の死体が、すすき野原で見付かったって言うでねぇか。社からは狐の尻尾が見付かったって…。そういや、あの与一の尻の傷は尻尾を切った跡に違いない。最近、めっきりと、すすき野原の狐の姿が見えないと思ったら、そんなにしてまでわしらを騙すとは…。」

「おうおう。聞いた、聞いた。わしらを騙すために、与一を、殺したんだってな。ひでえことをするもんだ。すすき野原のいたずら狐め。」

――浄玻璃の鏡に映し出された狐の生涯に、閻魔は有無も言わさず、たちどころのうちに、狐を地獄へ真っ逆さまに落としたのでした。

ところで、鏡には映し出されませんでしたが、騙されていたやり場のない怒りで、村人に荒らされ、堀り起こされた畑の中から、貧しかった村人を満たすには、余りある程の、たくさんの、本当にたくさんのジャガタラが掘り出され、いつしか村人の怒りや恨みつらみは、感謝の念に変わって行ったのでした。


散文(批評随筆小説等) すすき野原で見た狐 Copyright 板谷みきょう 2021-07-11 23:38:22
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