スニーカーの思い出
番田 

高校時代はあれだけ好きだったスニーカーを今ではどうとも思わないのは、歳をとったからなのか、そもそも、それほど流行っていないからなのだろうか。よく学校帰りに見に行っていたのは地方のスーパーの靴売り場の中だ。そもそも僕はエアジョーダンが1万5千円と高いので買えなかったけれど、スニーカーを好きになるということは、不思議なことだった。しかし、様々な素材や色で彩られたスポーツシューズに何の興味も小学生の頃や中学生の頃は覚えなかったのに、でも、特に競技用というわけでもなく、ビジネス用としてでもなく作られたそのデザインに魅了されるということは不思議なことだ。大人になっても、それからは時々買っては履いたりしてはいたけれど、あくまで消耗品としての購入であり、当時ほどの、心を奪われるようなほどの思い入れは消え失せていた。


今はそれ以上に魅力的に思えることを探しだすことのほうがすこしだけ難しい。そして、酒に溺れてみても、タバコをふかしてみても、同じだった。自分以外の誰かを応援することに夢中になれる人というのが世の中には少なからずはいるものだ。自分のパーソナリティをそうすることで主張するということは、平凡だが、ある意味楽なことでもある。最近の僕はなにかに夢中になれないのならそうすることも一つの方法なのかなと考えているのである。


散文(批評随筆小説等) スニーカーの思い出 Copyright 番田  2021-07-01 01:27:27
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