147号編集後記
たま

 毎年、三月末になると拙宅の「書斎開き」をします。
 南窓のある二階の書斎は、陽当たりが良くて、冬場は観葉
植物や、屋外では越冬できない植木鉢(ハイビスカスなど)
の越冬地となります。二畳半ほどの板間の床や、机上を彼ら
に占領されて、書斎には立ち入ることができません。もっと
も書斎にはエアコンがありませんから、冬場は寒くて、使い
ものにならないのですが。
 今年の三月は温暖化の影響か、記録ずくめの暖かさとなり
ました。いつもより早く、書斎の彼らには、元の位置に戻っ
てもらって、解放された書斎の机に向かうと、年越しの仕事
(といっても雑用です)が、どっさりあることに気付きます。
もうすぐ四月だというのに、この冬は、いや、この冬も。すっ
かり怠けていたのです。

 二月に眼鏡を新調しました。十年ぶりです。遠近両用の老
眼鏡ですが、乱視も少し入っています。歳をとると顔が暗く
なります。つまり、小皺も増えて皮膚がくすんでくるわけで
す。わたしの場合は性格も暗い方なので、余計に顔が暗くな
ります。それで、なるべく明るい眼鏡を購入することにして、
馴染みの眼鏡店で二時間ばかりかけて探しました。予算は二
万円です。
 ようやく見つけた眼鏡は、半透明の明るいブルーと鼈甲柄
のフレームでした。定価は一万三千円でしたが、レンズを淡
いグリーンに着色したので、一万六千五百円になりました。
それでも、予算内でお気に入りの眼鏡を買うことができて、
私はすこぶるご機嫌です。眼鏡が明るくなって、くすんだ顔
も心もすっかり明るくなりました。
 ところが、レンズの度数を少し上げたので、ものはよく見
えるのですが、足下がとても不安定で歩きづらいのです。と
てもじゃないが、このままではだめだと思い、また眼鏡店に
行きました。眼鏡を購入して三ヶ月以内であれば、もう一度
レンズの調整をしてもらえるのです。それで、上げた度数を
少し元に戻して、ようやく歩きやすくなったのですが、よく
考えて見ると、レンズそのものは以前の眼鏡と、少しも変わ
らない気がするのです。
 歳をとると何もかもが、ややこしくなるばかりなのでしょ
うか。何ひとつ元に戻ることはないのです。

 眼鏡を新調して、どうしても片付けないといけない、年越
しの仕事がありました。その仕事はもう三年も、年を越して
いたからです。
 三年前のこと、わたしは職場の親しい同僚ふたりと呑み会
をしました。わたしの定年退職(六十五歳の)慰労会だった
のですが、その席で、同僚ふたりから「似顔絵」を描いてほ
しいと頼まれたのです。わたしが若いころに、漫画を描いて
いたことを知っていたからです。わたしとしても、お世話に
なった同僚への感謝の気持ちになればと、快く引き受けたの
ですが、定年後も雑用の多いわたしは、気にはしつつも筆を
取ることができなかったのです。
 数年ぶりに絵筆を手にして、広々とした(といっても二畳
半です)書斎で、同僚ふたりの似顔絵を描きました。パソコ
ン相手の仕事(執筆)は肩が凝りますが、悪戦苦闘はしても、
絵筆を持つ仕事はふしぎと肩が凝りません。それはきっと、
わたしの心が、喜んでいるからだと思うのです。それでわた
しは気付いたのです。畑仕事は肩が凝りません。ということ
は、わたしにとって、絵を描くことも、畑仕事も、心の喜び
だったのです。

 さて、今年のわたしの詩作は、心の喜びを伴う仕事となる
でしょうか。詩作の喜びなんて、もうすっかり失くしていた
気がするのです。それはたぶん、この辺りで、初心に還らな
ければいけないという、天の声かもしれません。
 三十五年余り所属する『新○魚』に巡り会ったころのわた
しの喜びを思い出し、できることであれば、絵筆を持つよう
に詩を書きたいなと思うのです。
                       (た)












散文(批評随筆小説等) 147号編集後記 Copyright たま 2021-06-21 13:30:46
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