夏とクジラの話
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彼女は言った。

「クジラは空を飛ぶ魚だよ」

その通りだと思った。



恋をしていたのか、と聞かれたら
そうだ、と答えるだろう

けれど、恋を引き算したところで
クジラは昔からずっと、空を飛んでいるのだから
魚にちがいなくて

彼女の声は分厚い空にとけて


 め

みたいに僕を包む

それがあまりに幸せで

世界に隠された真実
そのひとつを見つけたと思った



あのころ僕は
夏になればクジラが飛ぶんだと思っていた

本当はさかさまで
クジラが夏を運んで来たんだね

力いっぱい飛んで
空を泳いで

泳いで
夏を



 あ


が降る

音楽にからだをあずけて
彼女は踊っている

もう逢えないのかな、と
哀しいきもちになったけれど
泣くことだって悪くないと思えた

聞こえないように
小さな声で
ありがとう、って言ったら

時間が止まった







彼女は言った。

「クジラは空を飛ぶ魚だよ」

ふたりで見上げた空は灰色で、何も見えなかった。

僕はいつまでも覚えているだろう。
いちどカチッと止まった時間、あのときを。



ふたりとも頭からつま先までずぶ濡れだった

 クジラなんて、いないじゃないか!

って叫びそうになった

きっとあのとき僕らは
クジラのおなかの中にいて
空を飛んでいたんだ


自由詩 夏とクジラの話 Copyright 投稿者 2021-06-01 04:16:07
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