ショートストーリー
空丸
あさりの朝
(浅蜊、蛤仔、鯏、浅利:学名: Ruditapes philippinarum)の味噌汁を
いつだったか おいしかった
朝だったような
記憶は積もるほど夢になる
素直に生きて死(生または生命に対置される概念で、医学、生物学、哲学、宗教、法律学、心理学など種々の角度からとらえられる。:コトバンク)ぬ
あっけなさに笑ってしまう
「取扱説明書」
それで結局一番取扱に困るのは自分自身であって、
「取扱説明書」が書けない。せいぜい、長さと重さぐらいだ。
あと、付け加えるのなら、
日々充電が必要であり 1日16時間ぐらいがオンタイム。
修理するためには健康保険証が必要なことぐらいだろうか。
最も重要な使用目的が分からない。
それさえはっきりすれば、お役にたてると思うのですが。
立ち読み
「首をかしげる猫」よりも、やっぱり、「心細くなった神」の方を読みたい。
「再生」は、「蘇り」よりも積極的だ。 と、思いつつ、
「捨てた作品は拾うな」を手にはとったが、買うほどでもない。
「自分を変えるな!社会を変えろ!」の横にあった「誰が社会を変えるのか?」に、目は集中したが・・・、
結局、「自分とは何か?」に心は向かいつつ、
気付くと、「5分で3万円」を熟読していた。
不在
レントゲン写真を美術館の壁にかけて、「魂の不在」とでも題名を付けるとそれなりの現代アートだ。意味は向こうからやってくる。見透かされた君には確かに魂は不在だ。
休日に降る雨と雨の降る休日
休日に降る雨は せっかくの休みなのに なんかもったいない気がするが
雨の降る休日は 一日ソファーに寝転んで なんか得した気分だ
「土足厳禁」と心に貼った
ビール片手に 雨音をつまむ
車窓を背景に
産まれたときと死ぬとき
それであんたはどうなのよ
私も生まれたとき そうだった
おれもそうだったよ
なんだみんなそうだったのか
*
ようやく順番が回ってきた
死神と対面する
長い間お疲れ様でした
まだやり残したことがあるのですが
約7割の方は同じことを言います そういうものです
そういうものですか
そういうものです
この人生のタイトルについて
例えば、「飲んだくれの溝掃除」。
大酒のみだったことは分かる。溝掃除はよくわからない。
例えば、「埃を被った掃除機」。(掃除ばかりだ。)
自分がすべきことを結局しなかった人生だった、ということだろうか。
あるいは、役割、能力を発揮できなかった、ということだろうか。
「曇り空の下」「投函できなかった手紙」「そこそこ」「私の中の幻想」「終わりは終わり」
「小舟」「ミッションA」「夜明けの高速道路」「腹八分の網目模様」「素数のトウモロコシ」
「無題」
「世間体は幻想だ 逃げ込む場所はそこではない
あの時代ではなく この時代に生まれ 準備はできているか」・・・・等々
詩の周辺で遊ぶ
――という詩について、というかエッセイについてというか、ショート・ショートについてというか、掌小説についてというか、子どもの作文というか、落書というか、はたまた予言か、それともCMコピーか、住職の独り言か、窓の外を斜めに横切る大雨か、その後の虹か、それとも、最終的方程式か、もうなにがなんだかよくわからない、
*
顔の半分が目。猫の話はまたにしよう。
衝動と理性の極限の対立。恋の話もまたにしよう。
日々選択。偶然という海で、私が動いているのか、世界が動いているのか、人生の話も今日はやめよう。
椅子に座っている詩人の話も、詩の話も当分いいや。
空が青い。その話もまたにしよう。
神様
大人になったら何になりたいか
神様になりたい といった子供はいなかった
思えば不思議である
夢は大きい方がいい 全知全能だぜ
畏れ多いというより
神なんて眼中になかった
それに 神になった大人を見たこともなかった
散髪屋の年始
棚の上に蜜柑が二つ
鏡の前と鏡の中に
日々の物語
大海原は苦手だ。
小さな滝壺を庭にしてひっそり暮らした。
時々、「見晴らし岩」に座り、遠くを眺めた。
渡り鳥のような大空は苦手だ。
見捨てられた小さな神社が裏庭だった。
時々、「千年杉」の枝から遠くを眺めた。
前人未到の山頂は苦手だ。
人里から小さい山を三つぐらい越えたところが遊び場だった。
時々、里まで降り、目を光らせた。
河童と天狗と鬼は、いつものように朝を迎えた。
伴奏
辿り着こうとする列に並ぶ。荷車を引く老婆が言った。
休もう
いろんな記憶を傍らに置いて汗を拭く。伴奏のようにありふれた空が広がっていた。