死後硬直の夢
ホロウ・シカエルボク



ディスプレイされた
高価なネズミのような
まだあどけないヴァネッサ・パラディの
コンパクト・ディスクの横で
二十八歳のアリサは
アイスピックで自分のこめかみを貫いた


死に塗りつぶされた部屋
彼女の生前のどこかで
凍てついた悲しみのかけら
電気機器のモーターみたいに
そこいらで鳴り続けている
ゲイリー・オールドマンの
懐かしいパンク映画のポスター
窓からの陽射で少し焼けている


どんな思いなのか
それとも気まぐれなのか
青いカラコンを入れたまま
くすんだ色になったその目は
最期の瞬間になにを見ていたのか
スマートフォンの
コーティングフィルムのようにここに張り付けられた
のっぺりとした
耐え難い日常だったのか


ディープ・パープルが聞こえる
開け放たれた
どこかの家の窓から


死体を発見したのは
妹のナギサで
彼女は腰を抜かし
錯乱し
小便を漏らし
悲鳴を上げ続けて
総合病院の
薄暗い
鍵の掛かるフロアーに担ぎ込まれた
いまも
あまり
良い状態ではないらしい
親族はそれきりだった


窓には
焼けて溶けた
プラスティックのような
蝸牛が居て
饒舌な空っぽの部屋の中を
覗き込んでいた
ずっと
ただ
ずっと


耐え切れず破裂した人々の魂は
行くべきところとやらに向かうことが出来るだろうか
消えてなくなることにとらわれるあまり
そこからどこにも行けないのではないだろうか
空は雨を落とそうかどうか迷っているみたいに
少しずつ灰色の雲を増やし始めた
すでに表札が外された部屋の中で
悲しみのかけらたちも、やがて
もう…


拘束され
薬を注射された
冷たいベッドの上で
ナギサは目を開けたまま夢を見ている
緩く閉じたカーテンから垣間見える夜空が
逃れようもないものを突き付けてくる


ここはどこだろう、私はなぜこんなところで縛り付けられているのだろう、お姉ちゃんが信じられないような残酷な終わりを選んだというのに…私は今すぐあそこへ行って、部屋を片付けたり掃除をしたり、大家さんに謝ったりしないといけないのに、なぜ…もう叫ぶのにも疲れてしまった、こんなベルトなどなくたってもう指一本すらまともに動かせはしないのに…生きている私のほうが、死んでしまったお姉ちゃんよりずっと、完全に残酷に死んでしまったみたいな感じがする、一番怖いのは死ぬことではない、死を突き付けられることだ、いまの私にはそのことがはっきりと分かる…お医者さんも警察の人も誰も来てくれない、誰も私に何が起こったのかきちんと教えてくれない…お姉ちゃんはもう骨になったのだろうか、骨になって、お父さんやお母さんと同じお墓に入っただろうか、遺書は?遺書はなかったのだろうか、もしかしたらもう私の部屋に届いているのかもしれない、ほどいて、ほどいて…私は狂ってなどいない、ほんの少し取り乱しているだけじゃないたった一人のお姉ちゃんがあんな死に方をして、まともで居るなんてそれこそ気が狂っているわ、誰かほどいて、どうして誰も来てくれないの、どうして誰も話を聞いてくれないの、私をここから出して、お姉ちゃんのところへ行かせて…


ナギサは同じ夜を彷徨い続けていた


カーテンの隙間になにかが見えた気がした、それは絶対に見てはいけないものだということがナギサには分かった、けれど彼女に出来ることはなにもなかった、誰も触れていないカーテンがゆっくりと開き、アイスピックが刺さったままのこめかみから血を流してにたにた笑っているアリサの姿が浮かび上がった、ナギサは悲鳴を上げた…


ひとつの悪夢が終わり、新しい悪夢が始まる
それがいつ終わるのかは誰にも分からない



タクトを振っているのは亡霊なのだから。



自由詩 死後硬直の夢 Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-04-11 22:16:53
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