ほころんでもほどけない蕾のために
ただのみきや

わたしたちの研究対象は
絶えず対照的対称性にあった

  *

甲羅を花で飾られた亀は
光と影の境を歩いて行く
停止した時間の
空間にドレープを生じさせ
記憶からの香り
鏡へ顔を沈めた男

  *

この胸は海から空へ
釣り上げられて狂う魚
間延びした生と死
光を散らしながら
捧げるように求婚した
やがて静かなる固着
濁りを沈殿させた
モネの絵の上澄みのように

  *

並木の透視図法
黄砂に霞む日差しの向こう
猫は駱駝に変わる
天と地は血だまりの双生児

  *

春のようなものが
今落ち着きはらっている 
まるでそこに在るかのように

山々は稜線を顕わにし
まだ白い額を空の胸に沈める
枯れてもつれた静寂が
またひとつ風に転がって
耳は彼方 盲いた猟犬となる

忘却は次々と上書きされる
永遠を永遠と気付けないほどに

  *

日差しが土を温めて
小さな羽虫が湧き立つと
思考から切り離された回路を
移動しながら行き巡るもの
すでにある名では呼び難く
観察者により姿を変えるもの
生命という現象さえその照り返し
立ち昇る陽炎に過ぎない
巡る度に懐かしく
未知なる餓えを起こすもの

鳴きたくても声が出ない鳥
泣きたくても涙が出ない少女
言葉を見つけられない詩人の
汚れたハンカチに包まれた
しゃぶり尽くされた小指の骨
舌の上の石仏
そこにはない
闇の中に軌跡を隠し
垂直に上がってくる
地下水のような女
ナイフのような魚
沈黙の固い蛹の中で熟成された夢も
虹色の翅も匂いだけを残して煙になる
無限に置換されながら
新たな傷を刻む
磁針のように瞑った眼差しで
地の果てをさまよう
愚者の餓えにのみ住まうもの

  *

あと二週間もすれば桜が咲くと言う
食卓の下を散策していた
蜘蛛を手の甲に乗せ
延々と繰り返される四季の巡りと
時間と生の不可逆性により綻び裂けた
たなびく襤褸のうす青くくすんだ声に
天秤が傾くまで酒を注ぐ
ゆっくりとだが速やかに沈む舟
ただ蜘蛛だけが月に網をかけて渡って行く
記号に罪はない
書き手と読み手が共主犯なのだ
だから何百年も情念と怨念をため込んだ
女が髪を海藻のように揺らしながら
この足を引いてくれるならそれでいい
暗い水底へ 人違いだと気付かぬままに
そうして書き溜めた原稿が風に捲かれて
遠く四散するのを眺めるように
何食わぬ顔の事故を装えばいい
床に砕けた絵皿で手を切るように
ふっと息を吹きかければ
前脚を上げて立ち止まり
八つの眼はわたしを探る
桜のようには咲きはしないサ
結ぼれた時間
のっぺらぼうを頭上で孵す

  *

おぼろにめくるめく
花という時間
花という炎
むすぼれほどけあっけなく

白くゆらめき中空へ
香りを放ち消えて行く
後にはささやかな灰
火葬はいい

  *

ある時間は
蕾のまま落下する
刹那 水面に歪んだそれが
虚像であるのなら
訪れた実体は
自らの死ではなかったか

生は
死の訪れにより儚く消え
以降
その死だけが永続する
存在とは虚
非在こそ実

落下した蕾が
鏡に飲まれて沈む時
虚と実は
対消滅する

後には非在のみ
存在しない時間
存在しない蕾
存在しない夢見る魂


                《2021年4月4日》








自由詩 ほころんでもほどけない蕾のために Copyright ただのみきや 2021-04-04 14:02:43
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