健康
葉leaf

夜が明けたばかりの街を弔う指先には小さな形而上学が安らいでいる。早朝からキーボードを叩いている私には国道のねじれる音すら聞こえない。しばらくして私は朝の道を歩き始める。そこには散歩の感傷よりもスポーツの充実が多く含まれている。ミトコンドリアの活性化やセロトニンの分泌といった科学的な健康が私の身体の舵取りをしている。私は脳髄的ではなく筋肉的だ。文学的な感傷よりも肉体的な健康のために私は早歩きする。アパートに帰ってきて少し休んだ後、今度は筋トレを始める。この機械的な運動にはいささかの叙情も含まれず、目標の達成を追い求める叙事があるだけだ。このようにして体重減少、疲れにくい肉体、集中力のある脳を求めていく。健康はしかし新しい抒情を作り出していく。集中力と体力の高まった健康な心身は感じやすく表現力に優れ、健康を土台とした新しい文学を生み出していく。詩とは孤独な病める魂の寂しい慰めではなく、健康で愛に満ちた魂の楽しい遊技なのである。ここで妻との連帯が大きな役割を演じる。妻とともにあるということはそのにぎやかな愛のやり取りにより魂の健康を生み出す。魂は闇から覚醒し光のただなかへ突き進んでいき新しい抒情を生み出すだろう。アポロン的な造形的抒情を。肉体は疲労から覚醒し新しい抒情を支えるだろう。自ら光を発し現象を照らす抒情を。健康こそが来るべき時代の新しい抒情を生み出すのだ。


自由詩 健康 Copyright 葉leaf 2021-03-11 04:22:26
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