サン・トワ・マミー
ホロウ・シカエルボク


きみは遠い世界の春を抱いて、シャンソンに合わせて身体を揺らせている、昼間は夏のように暖かかったけれど、夜は北極のように凍りついている、電気ストーブよりもいくつもの薪をくべた暖炉が欲しくなる、そんな寒さだ…おれはもう何度目かの「ベイビー・ブルース」を読みながらウトウトしていた、物語の気怠さにのせられたわけじゃない、まともな人間はとっくにパジャマに着替えてベッドの中で夢を見てる時間なのだ、でもきみに言わせればおれもきみも漂流者みたいなものなので、そういったしきたりには関係がないらしい、しきたりの問題ではなくて習性の問題だとは思わないかねとおれは一度反論してみたけれど、「そういう話をしているわけではないのよ」ときみは右の眉を吊り上げた、「そういう話をしているわけではない」そんなフレーズは卑怯過ぎるとおれは思ったけれどもう言わなかった、女という生きものの主張はハナから、どちらが正しいとか間違っているなんて観点とはまるで違うところから発せられているのだ、おそらくは諦めではない、しいて言えばこれは一番小さな異世界の認識だ…漂流者だって必ず船を降りてみたい時が来る、おれは本を置いて洗面で歯を磨き、顔を洗い、シャツとパンツだけになってベッドに入った、この部屋にはシングルのベッドがふたつ、離れた場所に置かれている、その気があればどちらかがどちらかに潜り込むし、なければそのまま眠る、これはお互いに希望したことだ、ダブルベッドは窮屈な愛の象徴、「こうしなければいけない」という義務感だけで出来た眠りなど欲しくない、ときみは表現した、おれ?「寝るときはひとりがいいな」って言った、まあ、表現は違えど利害は一致したってことさーこういう話をすると変な心配をしてくる知人とか居るんだけど、でもさ、わかるもんだよね、寝床が同じだろうが別々だろうが、「あぁ、今日はなんかするんだろうな」っていうの、あるじゃない、あんまり関係のないことだと思うよ、むしろ、同じ寝床でそういう感覚がないってやつがいたらそいつを心配するべきだとおれは思うね、まぁ、そんな話はいいか…「横になっても痛くないイヤフォン」というやつで、小さな音で音楽を聴きながら横になる、あまり耳にはよくないことらしね、でも、経験のある人はわかってくれると思うんだけど、誰かと暮らしをともにすると、一番削られるのが音楽を聴く時間なんだ、なにしろ女っていうのは家に居る間テレビを見てるからね…こっちに気を使うことはない、とは言ってくれているけれど、歯の浮くような台詞が飛び交うドラマの音を浴びながら聴いたって楽しくないんだよね、音楽ってものはーおれ、イヤフォンとかヘッドフォンなんてのは苦手だったんだけど、こういう暮らしの中でだんだん平気になっていったよ、そういうわけでこの、寝入りばなっていうのはおれにとってはだんだん楽しみな時間になっていったんだよね…きみもそれはわかっていて、おれがそそくさとヘッドフォンを耳に入れながら横になると、ほとんどの場合はこちらのベッドには来ない、自分のベッドでスマートフォンを見ながら時々鼻歌を歌っていたりする、こちらにまるで届いていないと思っているのかもしれない…ところが、この夜はいつもと少し違っていたんだ、きみは急に忙しそうにあちらこちらーそれから急にしいんとして、どうやらこちらの様子を窺っているみたいな…それから?どうやら服を脱いでいる、こちらに来るのかな…?違った、どうやら着替えているようだ、外に出る時の、きちんとした格好にーこうなると、いくらおれが鈍くても事の次第は理解出来るよね、さて、目覚めたふりでもするべきだろうか?けれど、ここまで来てしまって、そんなアクションにどんな意味があるだろうか?服を着替えてしまうと、きみはキャリーつきのケースを転がさずに出て行った、おれは目を覚まして、ひととおり部屋の中をチェックした、きみが残していったものは、合鍵と、さっきまで身にまとっていた部屋着だけだったー遺言のようにキッチンのテーブルに置かれてあった、おれは冷蔵庫のオレンジジュースを飲んでひとしきりその部屋着を見つめ、大きな欠伸をした、玄関の鍵を掛けて、寝床に潜り込み、イヤフォンを耳に突っ込んで音楽を聴きながら眠った、とても長く退屈な夢を見た、もう二度と目覚めることが出来ないと思えるくらいの。



自由詩 サン・トワ・マミー Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-02-03 00:36:22
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