時々、思うこと
番田 

時々何かを考えている。何かを、時々、見ていることもなく、きっとそうであろうこととして。僕は昨日、バスから、流れていく冬の公園を眺めていた。そして、見ていた目を特に何かを見るということもなく閉じていた。僕はたぶん、生きていたのだと思う。何かを、そして、着いた場所でたらふく食べようと思っていた。僕は思い浮かべていたのかもしれない。その、きっと、美味しいであろう外国の料理を。昔訪れたニューヨークのことを思い出していた。そこで食べたものを、そして、頭の中では、どうやらまだ覚えているようだった。たとえば、ホテルの前の屋台で買って来て食べたカレーピラフのさわやかな味を。


僕は当時、自分の金ではなく、親の金で学校の行事としてそこに行っていた。僕は、そこで日本では見られないような長いガムを、買って食べた。ファッションの、有名な、学校があった。それに、地下鉄に乗っていると、独特の雰囲気に外国に来たのだということを、感じさせられた。僕は時々英語を使うことができた。しかし、外人に、僕という人間があまり受け入れられていないということも、しかし、同時に感じていた。僕としては、アメリカのカルチャーがかっこいいと思っていたのだが。そういった感覚は、しかし、この国で生きていくには、かえって邪魔になるのかもしれない。アメリカのカルチャーを知るということが、僕の感覚からアメリカ自体を、遠ざけていたのだろう。しかし、アメリカを遠ざけることが近づけることになるのかどうかは、想像してみてもわからなかった。


僕は5年ほど前に、湘南海岸の海の家にいた。景色の中にはないであろうものをたぶん、そこで、探していた。自分という人間が社会という巨大なカテゴリに受け入れられないのだということを思いながら、酒を飲んでいた。あまり、特に何の変哲もない味の焼きそばを、そして、食べていた。鏡の前でポーズを取る、ピンクの水着を着た女を、横目で見ていた。そして、足の踏み場もないほどに敷き詰められたワカメの感触の浜辺と、独特のデザインと緑色をした電車の中に踏み込んでいた。


散文(批評随筆小説等) 時々、思うこと Copyright 番田  2021-01-19 01:16:05
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