『終わらない黄昏』掌編
道草次郎

この惑星の衛生は月と呼ばれている。
『ムーン・ライト・セレナーデ』、この惑星の種族が開拓したJAZZという聴覚振動情動喚起音波の一ジャンルのオールタイム・ベストのナンバーだ。

月明かりに照らされたゆたっていると、向こうの方から内燃機関がやってくるのがわかる。先程汎バビロニア珪素網にアクセスした所によると、どうやらあれが別のもう一つの脆い内燃機関にぶつかると、脆い方のが瞬く間に機能しなくなってしまうそうだ。じつに信じ難い現象で、少なくともここ何百パーセクの範囲ではそうした記録は皆無である。脆い方がたぶん少し上等なのだけど、機能停止及びその漸次的分解は致し方ないことだろう。星の運命は、その星の地脈が決めることだからだ。

調べによると、脆い内燃機関は年代記を書いていた。つまらない年代記である。しかし当人たちにとっては全くつまらなくは無く、むしろ神聖だった。

最近の年代記で殊に見受けられるのは、ぽっと出の霊長類の行いについてである。例えばそれは、温室効果やガンマ線バーストや第六回目の大量絶滅やらそんなささいなことを世界の終焉などと彼ら(脆い内燃機関と呼ぶのはさすがに面倒だ)は呼んでいた。なるほどたしかに彼らは、その幼年期にすら達していないようだ。

我々は古い種族だから、彼らのように若い種族の思考がよく分からない弊はたしかにある。しかし我々が彼らの中にすでに巣食っていることに、彼ら自身、全く気付いていないというのも彼らの幼さの現れだろう。というよりも彼らが我々であり我々が彼らなのだ。そういうことは、もう随分前、かかる因子宇宙の原始星が暁光の輝きを放った時点に於いて全て明白なものとなったのだ。

我々が古いと言ったのは、それは我々が時間的なスケールにおいてそうなのではなく、我々の存在様態の起源がそもそも宇宙の起源と同根だからに由来する。見たところ、彼らはここ数千年、いや数万年進歩が全く無いようだ。彼らは進歩とは何かを知らないらしい。

つまらないシャトルを飛ばしたり、新しい分子構造を見出したり、銀河系の地図の作成に着手したり、それだけではない、分析哲学に於いて語りうる語の限界の把握を試みたり、パラメタフィジカル傀儡論やアルファ論理学や神秘並行論や虚数礎石学を創始したり、そんなことがどうも自分たちのすることだと思っている。

これこそがまさに彼らの停滞とそれに連なる退行の印であるのだが、尤も我々の責務はそうした若い種族の遺す遺物を順次、第53次元宇宙系のパラ2188ユニバースの辺境超精域にある博物星へ位相転移させることなのだ。

つまり我々は死んだアルカディアへの使徒、或いは憂鬱な考古学的原子核外縁素子とも言える。

先般通過した薔薇色の平原が延々と続く虚惑星や、龍獣というおそろしい化け物が蠢くシリコン海の中星、敷き詰められた菌状の無意識蓋然外殻物が三つの満月が直列になると一斉に空無に飛翔する巨大ガス惑星などの偉観に比べると、この惑星はなんと平凡な事だろう。見たところ摩耗した石灰岩と酸化鉄の煙をあげる小さな湾の如き海しかないようだ。射手座のXm23alphaに存する遊離水素と結合した火炎の如き核爆縮層海の方がまだ見栄えがする。

断っておくが、我々にはサンプルは要らない。なぜなら先にも言った通り我々は彼らであり、彼らが我々であるから。ともすれば彼の会話はすべて筒抜けである。亀の子のように緩慢な電子の糸にアクセスするまでもなく、この肚に落ちてくるのだ。例えば、こんな会話があった。

「モニカ。ぼくのアパートにおいでよ。もう一度話をしよう。ケビンのことは、本当に、お互い辛かったけど、ぼくは君のことだってほんとうに大事なんだ。一人で、ほっとけないよ」

「勝手なこといわないでよ、ジョン。ケビンはもう大人だったのよ。そしてみずからの判断で火星の暮らしを選んだの。社のマニフェストは読んだでしょう?あなたは、いつだって自分のことしかかんがえてないんだわ。もう切るわね。」

我々は常に、彼らから見たらそれが細い糸の数本縒りあわさったような形のある種の字引を持ち歩いている。その字引には様々な生命形態の様々なパターン化された行動形式のごく詳細な記述が載っている。我々はこの、彼らのうちの二個体である、モニカなるものとケビンなるもの電子通話での会話をここ数千年ほど研究している。ちなみに我々は細分化された下位に属する我々を有しており、そのうちの一思念体がこの私である。私の職務は、すなわち私の存在様態そのものは、モニカとケビンなるこの二人の個体の会話分析の為、暫定的な汎銀河制アポイントメントを与えられたに過ぎない。

私が、私の究明すべき普遍写像変換パテントのその端緒にすらつけていないことをここに申告しなければならないのは、甚だ遺憾である。この記録は百万分の一ナノ秒のタイムラグを以て即第53次元宇宙へと送信されるだろう。

この惑星の若い種族の姿はもうどこにも見当たらない。先程見かけた内燃機関は、その若い種族が遺した完全オートマチック性AIのドローンとそのドローンの下位ドローンだった。

若い種族はどこかの遠い銀河に散らばったのか、それとも次元層の割れ目に忍び込みかつて夢見たもう一つのアルカディアを再建したのか、はたまた有毒と化した黄昏の海岸にすまなそうに棲息する、鋏がつごう6本もある蟹に似た生命のような末路を辿ったのか、それは定かではない。




自由詩 『終わらない黄昏』掌編 Copyright 道草次郎 2020-11-23 22:24:36
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