産んでくれとは
こたきひろし

産んでくれなんて一度も頼まなかったのに
よけいな真似をしてくれた
母さん

何言ってるの
母さんだってあんたみたいな子供に育つと分かっていたら
死ぬほど痛い思いして産んでいなかったわよ

母子がお互いを罵り合って
お互いをこれでもかといくらい傷つけあえたのも

血と血の絆があったからこそ

なのに
過ぎた歳月は
母親を赤ちゃんに戻してしまった

過ぎた歳月は
母親を寝たきりにしてしまった

過ぎた歳月は
自分が産んで育てた子供の記憶を
真っ白にしてしまった

その日
夫婦二人で訪ねた施設の部屋の窓から見えたのは
隣の建物の壁だけだった

何だか絶望的な息苦しさを感じた
のは私だけじゃないだろう

一刻も早く
この陰鬱な空気の中から逃げ出したい
逃げなくては
と言う焦りに似た感情に逆らえなくなってしまった

幸い
老母は死んだように眠っていた

一目会えればそれでいい
無理に目を覚まさせる必要を感じなかった

連れてきた幼い二人の娘は車の中に待たせていた
おばあちゃんの醜態はやはり見せるには忍びなかった

長くはいられない

言い訳にして夫婦は部屋を出た

施設の外に出て私はため息をついた
いったい何をしに来たのか分からないと言う

苦い思いにかられながらふと見上げた空は
良く晴れ渡ってた

晩秋の清々しい空だった


自由詩 産んでくれとは Copyright こたきひろし 2020-11-05 23:53:36
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