秋耕と幻想
道草次郎

秋、畑を耕すことを秋耕と云うそうです。晩秋や初冬に植え付けをする作物の為の下拵えを、土にほどこしてやる必要があるのです。苦土石灰をばら撒いて、鍬を入れ、もう一度石灰を力士が塩を土俵にまくように放ってやります。そうやってから一週間ほど時を置き、堆肥や、場合によっては油かすなどを土中に混ぜ込みます。この油かすというのが案外高くて、ホームセンターなどで買うと、畳二枚の面積に使う分だけで千円は掛かる計算です。
とにかく、作物を育てようとするとお金が掛かる、というのは予てからの自分の思い込みで、トラックごと肥料を仕入れたりできる農家に比べたら、自分のような半分余技でやっているようなのは、全く採算が合わないというのが常です。
 
 余技と言いましたが、いっときはそれでも、ある程度広い農地を鍬一本で開墾し、色々な野菜を育てていました。自分が二十代前半の時です。今思うと、何をやっているのかさっぱり判らないような時期でした。そんな事を来る日も来る日もやっていたのだから、自分も随分な変わり者です。まあ、それしかできなかったし、自分には車も無かったので、色々と、埒があかない部分もあったにはありました。そういう経験をしたというのを、馬齢を重ねたのち顧み、あれはあれで意義深い事であったと語る人がたまにいますが、とんでもない、自分などは唯々恥じ入るばかりです。やっと最近、それでも幾らかこうしてお話できるようになって来た具合です。

 それで、だいぶ横道には逸れましたが、畑おこしの続きです。最近はずっと体を使っていなかったもので、久しぶりの力仕事に体中の筋肉が笑いました、というつまらない話です。そんなのは秋の空に呵々と笑ってやった、と言いたい所ですが、じっさいはそれどころではありません。玉のような汗の雫が、もったりとした顎から、たら、たらと垂れて来るは怠け切った心臓は早鐘を打つはで、じつにこれ青色吐息でした。

 北信濃は既に秋も中旬という風情で、吹く風もかなり冷たく、汗ばんだ背中には寒いぐらいでした。夏ならば、昼日中体力仕事をした際は、直射日光と引っ切り無しの水分の喪失で相当参りますが、涼しければ涼しいで、この有様ですから、本当にもう救いようがないというか情けがない。暫し逆さまの鍬を杖がわりに佇んで居た始末です。

 昨夜からの、安閑とした心地を以て俳句を作ろうとしていたあの気分は、秋風とともに芒やエノコログサの茂った方へ無残にも散って行ってしまったわけです。なんということもない。これが、ほんとうというものだと首肯すると同時に、汗のかわいていくその道筋を見つめていると、次第に、もやもやしたあの気分が再燃して来るのもまた事実でした。心臓が早鐘をやめた頃には、つらいドライアイも収束し、自分が耕した二畳ほどの黒土の細部細部に気がいくようになるまでになりました。そんな自分に少し安心し、また、僅かに気が咎めもしましたが。

 そこには、とりどりな世界の模様が広がっていました。
 まずは虫です。これはたぶん蛾の幼虫でしょうが、カブト虫の幼虫を二回りほど小ぶりにしたのが、鍬による覆しのせいで何匹か見受けられました。それらは青白く薄気味の悪い姿を陽に晒し、いかにも眠そうな感じでした。
 それから、ゲジゲジでしょうか。数え切れないほど沢山ある脚が、波打つように、掘り起こされて間もない土の勾配を這って行きます。その一本一本が、純粋な目的な為に躍動しながら、黒い起伏を滑るようにいく様は、シンプル過ぎる言い方ですが、凄く不思議です。そして、ちょっと嫌な気もします。これは、不当な態度ですね。しかし、虫たちに対するこういった不当な気持ちを隠すことは、少なくとも自分にはなかなか難しい事です。
 そして、黒土の表面に所々頭を突き出す夏野菜の残滓。それは朽ちた茎やら殆ど見えないぐらいの葉やらですが、時々、干乾びたミニトマトもそれに加わります。わけもない図です。しかしながら、よく考えもしないで通り過ぎる道の傍に生い茂る草花のように、それらは土中に塗れ、いま此処、秋に顕現しているのでした。人間が石灰を入れ土の成分の中和を図ったところで、そんなものはたかが知れていて、つまりは自分の汗もたかが知れているのですが、夏の亡骸が土へ混ぜ込まれないと要は話にならないという事です。それら残存物が成す事の巨大さは、それはもう、秋の空ほども大きいのではないかと自分には思われます。
 毎夜毎夜眠れず蒲団で輾転としている自分と、その自分が爪痕を残そうとして書いた幾らかのものなど、こうした自然の無限に豊穣な、主張を持たないその力に較べたら、どうでもよいと思えて来ます。

 日も暮れて来たので家に取って返すと、そういう気持ちも、しかし段々と薄れてきました。もとの、憐れな精神の朴念仁へと子供がえりを起こしかけていたのです。
 丁度その時です。一羽の烏がカアと啼きました。シャワーを浴びようとノースリーブを脱ぎかけていた自分は、その声にハッとなりました。どうしたことか、些か胡乱な気持ちとなり、目の前がすこし昏くなったようにも感じられました。得体の知れない不安に駆られ、意味もなく窓をあけると、そこには一羽の鶴がいるではありませんか。おそらくは田圃の水場辺りで捕らえたであろう川魚など咥え、毅然そして凝然とこちらを見ているのです、とこれは勿論、創作です・・・もう夜も八時過ぎです。汗のさめたうらなりには、創意に託するしかない時もあるのです。また、丁度そんな刻限でもありましょう。

 さて、こうしていれば、自分はこのまま何処へいくのだろうと思われて来ます。鶴に殺された想像の自分の骸が、からからと骨の音をたてながら眼前に漂ってくる様でもありますし、或いは、別段どうということもない気もします。今はひとえに、句作ならびに詩作によるこの掘削が意味を成すのか、果たして、それに掛ける時間がまだ自分には残されているのか、そういう事ばかりが気になります。
 前途は茫々として、瞑目すれば脳の近傍にやたらと蝸牛神経が意識されてしまうのです。眩暈なのか何なのか、判然としない何かがぼやぁとそこには在るばかりです。
 
 こんな、胡乱な月夜はつくづく唄でも歌いたいものです。酒を呑めない自分ですが、自分で自分に手酌酒。そんなのはどうでしょう。
 昼には昼の自分が居りました。明日も、たぶん昼の自分と逢う事でしょう。しかし、今は、夜半の烏。いや、鶴なのです。あの、凝っと見つめていた黒い瞳は、じつは、自分自身だったのだと思います。




散文(批評随筆小説等) 秋耕と幻想 Copyright 道草次郎 2020-09-27 23:45:38
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