喪失
こたきひろし

人波に飲まれたら、人塵に流れ着く

首都東京
その四文字に魅入られて最寄りの駅からJR線の電車に乗った

地方に産まれて、地方に育ち、最終学歴は地方だった

卒業すると地元に居場所を失った私は、東京に就職した

十ハ歳から二十一歳迄、千葉寄りの街 小さな洋食屋の厨房でコック見習いをして働いた
が、その仕事に辛抱出来なくなって、三年で地方に逃げ帰る

だけど次男坊の私に、実家はいつまでも居られる場所ではなかった
その時代、家は長男が継ぐものと決まっていたから
私は余計者扱いだった

父親が仕事を探してきた
縁を手繰り寄せて

そして私は同じ県内の県庁所在地の街 飲食店の厨房で働き出した
そこも二年と持たなかった
トンズラして住む場所を失くした

もう実家には帰れない
すがる思いで知人のアパートの部屋を訪ねた
一週間の約束で居候させて貰った

その間に知人がつてを手繰って次の店を紹介してくれた
彼もまた厨房で仕事する人だったから

その店は電車に乗って三十分くらい離れた小さな街の駅前にあった
経営者が在日の人で本業はパチンコ屋だった
そこで二年くらいたったら、チーフコックが言った
 M駅前の洋風居酒屋で、人探しているから行かないか
と打診された 給料はここより良いよ
その言葉に乗って職場を変えた

私の人生は根無し草のようだった
だった筈なのに転職先で十年働いた

十年目に縁あって女と巡り合い結婚する事になり、また転職した
丁度バブルの全盛期だった
私は嫁さんの実家近くに引っ越した
その街の工場で働き出した

将来を見据えての決断だった
仕事と夜勤が辛くなってきた頃、同僚にトイレで話しかけられた 
 近くの工場で人を探している 何でも運送会社が新規に請け負う仕事らしいけどね 人手不足でなかな 
 か見つからないんだって、俺と二人でやらないか?勿論、給料はこことは違うし夜勤もないんだ
その話しに乗った私は転職した

それから二十余年よく勤まったもんだ
その間に夫婦して最寄り駅から東京に何度も出掛けた

東京は働く所じゃない
遊ぶ所だ

年に一度は西銀座で宝くじを買った
庶民の夢を買ったんだよ


自由詩 喪失 Copyright こたきひろし 2020-09-26 08:15:08
notebook Home 戻る