俳諧となり得ぬひずみの詩
道草次郎

激しい睡魔のおく目覚めろという地母神がいる
くしゃりとした醜い顔の小ぶりの神様だ

かつて山男だった冬
或いは漁師だった春があった
その時のお前は詩など一篇も書かずまた読まず居た
薮睨みの鷺が沢に経つのを煙草を吸いながら眺めたこともあったろう
鰆を無意に嬲っては帆柱に凭れ汐を聴いたそんな夕もあったろう
お前はいくつかの季節では馬であり
かなしみの落穂に屈む農婦でもあった
死人花が群がり咲く平野に駆け出す少女であった事もある

(この今の秋を千秋と称ぶ)
紅葉葉の上光纏う妖精たちもかつては神であり人間だった

(かかる日はかかる日の落し子として)
さんざめく橅の大樹の銀河のような欝滞へ今まさに没入せんとする流れ者なるかすがい
幼子の睫毛にやどるたゆたいに虚しさはかろくかろく躙り寄り…

然らば
これは神の仕業と云うものか
深緑色のパテントが一々のノンセンスを産むということはつまりは自在なクオリアの絶えた証左に違いない
(生命がほしい即ち所与の奸計が)
五月雨てゆくさみだれてゆくピンク・ムーン
穿孔の孔
しかつめらしく引き潮は盥に寄せて盥は公海に浮かんだ舟だ
流れはせずにプカプカと海嶺うえの水のたまりを漂いながらここは何処ぞの胆汁かなどと気を揉んでいる…

離れていく逆さまなまま
鳥の首をへし折る風圧でヘーリオスとして空わたる太陽の雁字搦めの噎びを呑んで

(この秋はあんまりかなしい)
ひとり野に立ちこの人差し指を自分だとおもい天につきあげてみる
-静寂-
事事一切微動だにせず
かかる千秋の風を骨身におくるのみだ

お前という歩行の変質体よ
その荒んだ夜景の汗腺よ
めぐりくる
シーズンを踏みしだき
お前は
早蕨のあの季節まで
身を穿ち尽くすことができるか

(それでも天は嬰児を与えたもうた)
往くがよい
はがいじめよりも尚きつく
その鎖骨を巌に縛されたお前は地に降り注ぐ麦の実だ
幾星霜の残照のうちにこそ
この秋の実りは猖獗となり得る…

嗚呼
死人花を往け
緋い修羅の膝頭となれ
それがお前に落とされた団栗なのだ
嘗て何者であれ
いま此処には撫で肩のうらなりの如何にも辛そうなもったりが顕現するのだ
(しかたのないやつだ、始末におえない)

往こう往こう死地へ
あでやかなる芳しい匂いの花咲く深海へ空明へ
春を待つ
わがこころ
わがこころはひらひらと
ひらひらひらと
蝶のように
こころは夕栄にとらえられるや
牧人と化すを厭わず…

(早蕨のころ、じぶんはいきていたいです)





付記。
一種の廃墟となり果て身を傾けつつあるミニトマト。その殆どが萎びた鈴鳴りである中、ただ一箇所だけに奇蹟的に完璧な状態を留めるひと房の輝きを見出す。その刹那を俳句に収斂することが出来ず、致し方なくここに記す。


自由詩 俳諧となり得ぬひずみの詩 Copyright 道草次郎 2020-09-24 11:54:56
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