下山
山人

 明け方に雨は上がり、比較的安定した天気予報であることを確認し家を出た。しかし、誰もいない登山口には未だ霧雨が降り、いやおうなしに雨具を着ることになる。この暗黒の迷宮に向かうような心境というのは、言葉では言い尽くせない。
 雨は上がるはずだ。そう思いつつ登るが霧雨はしつこく降り続けている。
 二日前から開始した○○岳の除草であったが、昨日は上祝沢源頭部に刈り払い機をデポしてあったのだった。朝五時に歩きはじめ、機械デポ地に着いたのは六時四〇分だった。ゴミ袋に包まれた刈り払い機のエンジンは大丈夫だろうか?過去に何回も機械の不調や破損で作業をせずに山を下ったことがあったが、今は体力的に無理が利かなくなった我が身であるが故、なるべく効率の悪いことは避けたい。
 数回ほどのスタータートライで無事に作動した。作業開始直後、さっそく石を叩く。せっかく研いだ刃が何本か丸くなっただろうと思う。それでも切れ味はさほど悪くなっていない。なので刈る。とにかく刈る。刈りまくる。登山道に突き出た蔓の類やら笹の垂れさがり、登山道の草の類。自らのタイミングでスロットルを緩めたりしながらリズムをつけているのに気ずく。
 先週は△△岳のゴールデンルートの作業で天候も良く、多くの登山者に行きあい、道を譲り、声掛けされたが、昨日は天候もさほどではなく、平日という事もあり人気(ひとけ)は皆無であった。かといって「孤独と戦う」わけでもなく、体力に余力がある限り刈り続けるというマシンのような心境だ。目の前の大石に刃を当てないように。目の前の枝を刈り、次から次へと刈り進んでいくマシンを自覚することで作業は進んでいく。
 午後二時前、山頂に着いた。○○岳の除草は終わったのだった。ガスで回りは視界がなく、山頂付近の道標や三角点だけが際立っている。「山頂ひとり占め」という言葉があるが、その感慨に浸るほど艶やかな景色もなく、乳白色の世界だけの存在に心は何も反応しない。しかし、それがかえっておだやかな気持ちにさせてくれる。
 誰も居なかったら山頂で自撮りをしようと考えていた。それにしても年を取るとひどい顔になるもので、貧相な顔しか写らない。それでも刈り払い機を片手に道標を背に自撮りを試みる。何度か写してみるがどれも醜い顔ばかりだ。苦労自慢のような人生の結果、出来上がってしまった人相なのだろうか。それでも表情を幾分意識して自撮りを終えた。若く美しい世代であれば、どこの角度で撮っても絵になるのだろうが、この醜悪な顔は害悪なのかもしれない。
 下りは単調だが、足場が悪いし、片手は刈り払い機を担ぐという役目があるため、気楽に歩けない。つまり、登山は年齢とともに、下山の事も考えて行動する必要がある。下山するのだが、それは目的地に再び帰るための登山でもあるのだ。
 まったく誰もいない山道を、スパイク長靴と石の摩擦音だけがあり、その周りには樹木や草があり、ときおり地鳴きする野鳥がいる。この、限られた体力と与えられるであろう僅かながらの報酬のために鬼畜の労働を終えて下山する姿に称賛の声はない。
 長い、山道を歩くと懐かしい下山口にたどり着く。車のドアをあけ、荷を積み込み、最後の汗を拭き、車を発進させる時の最高の赦された時間のために、私は労働を終えたのかもしれない。


散文(批評随筆小説等) 下山 Copyright 山人 2020-09-17 07:19:27
notebook Home 戻る  過去 未来