道草次郎

もうおわりだと口に出して何度それを言ってそのたびに母の心をキリキリさせたか知らない
不登校だったとき
高校を3日で退学したとき
大学でうつになり死にそうだったとき
引きこもっていたとき
働き始めて死にたかったとき
そして先だって仕事をやめたとき
さらには
守るべきものができて
その子のために生きなきゃならないのに
死にたくなって
妻とぐちゃぐちゃになり
何もかも自暴自棄になったとき
さっきもぼくは
同じことをした
母にもうおわりだと言い放った

母はもう白髪混じり
古希をとうにむかえ身体中がガタガタだ
それなのにぼくは
子供のように
いや子供よりなお卑屈に
人生に背を向けるようなことを
平気で言って
母は
それを聞くたびいつもこう言う
「そういわないの」
母は搾られるだけ搾り尽された老いさらばえた山羊のように
そう言いながらもトマトを切って
パンを並べる
ジャムとマーガリンを出して
紅茶なのかべつにするのかと訊く

ぼくは親孝行というものから一番遠く離れた場所にまで来てしまったと思う
中学生の自分が凶兆として感じた未来とそっくりの未来を今生きている
父親としてはもっともくさり果てたところまできた

毎晩地獄の夢と地獄から救い出される夢を見る
右手がよく痺れるし
多分痛風ぎみだ
性欲もなく
本も読めない
12時間寝る
飯を食ってまた8時間寝る
テレビを観ては皮肉しか言わず
生活の話の中にいきなり宇宙をさし挟んで
母をうんざりさせる

マザーコンプレックスはボロボロの布切れのようになり
それを母は雑巾に仕立て直し
時々トイレの床を拭いている

庭の草は生え放題で
それをぼくは眺め放題で
母はそんなぼくを諦め放題だ

事務的な事柄と実質的なすべきことと負うべき責任の話になると
いつも決まってぼくは
宇宙や生命や涅槃やカテゴリや意味論や魂や地獄の存在の不可知性やパウロや運命やカラマーゾフや芭蕉やユングやユングの書簡や発狂や危険薬物やペンローズや大伴家持やコルベ神父や自己愛性人格障害やアニマや孤独死や死後や生前や虚無の概念や概念規定の問題や病牀六尺や無や禅定やフウィーヤや寂寥感や諦念や死などのことばかりやたらとむやみに持ち出してこれから生きゆこうとするあらゆる活動欲求を片っ端から唾棄していく

母はそのうち疲れて
ソファーで昼寝をしてしまう
母も安定剤を許容範囲を超え服用し
それでも毎日やらなければならないことを
やろうとしていて
現にやっている

ぼくは自分は死んだ方がマシだなんて思わない
ぼくに死ぬ値打ちなどない
ぼくは生きたいなどと大それたことは言えない
ぼくが生きたいと願うことがどういうことなのかもう分からない
ただ
空があるだけだ

いまいきなり電話が掛かってきて
死ねと言われたら
ありがとうと涙するだろう
腐りきった
いや
腐れもせず
炭化したよ

ダンボールに描かれたパンダが
こちらをみて笑っている
いま死んだら
たぶん
このパンダが視界から消えて
ずっと
真っ暗になるのかなと思うと
なんだかヤになって
タオルケットを引っかぶって
寝てしまおうと思う

まん丸く膝を抱え
包まれて
睡魔がきたら
最後の意識を
ああ今死ぬんだなというものにすり替えて
眠りに落ちるんだ


母が
咳をする

ぼくの
からだ
その
使い方次第で
きっと
いくらかのお金が
ぼくの罪を緩和し
母の咳止め薬に
なる
とふと思う

そう思うと
このからだが
すこし有難く思え
この心は
すこしつまらなく思えた

死なないでおく
という
そのことだけで細々と繋がれた今日という日は
風鈴の音色のなかでいつになく
普通のツラばかり
押し付けてくる



自由詩Copyright 道草次郎 2020-09-10 14:02:43
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