人は哀しみの器じゃなくて
こたきひろし
夜
長女からいきなり言われた。
「お父さん恋愛相談にのってくれない」
私は吃驚してしまった。
彼女はもうすぐ三十歳になる。
「それは難しいかな」
私はそう答えてしまった。
「どうして」と娘に訊かれた。
「だってお父ちゃん恋愛経験ないからさ」
「えっ?おかあさんと結婚したじゃない?」
と、娘は驚いた顔で訊いてきた。
「確かに結婚はしたけれど恋愛はしてないよ」
私はその場にいた妻に気を使いながら言った。
けれど妻は何も口を挟んできたりはしなかった。何も言わずに黙っていた。
私は言葉を続けた。
「お父ちゃんはおかあちゃんに恋愛したんじゃなくて
結婚したんだよ。しいて言うなら、結婚してくれる相手としてお互いが同意したって事だよ」
娘が言った。
「紹介されて知り合ったんだよね。好きになったから一緒になったんじゃないの?」
娘の問いかけに私は答えた。
「一緒になってから好きになろうと必死に努力したんだよ」
私の言葉に娘は納得できないと言った怪訝な眼で私を見た。
しかし、黙ったままの妻が何を言い出すか分からないと怖れてそれ以上は蓋を閉じた。
「分かったわ」
と、娘は暗黙の了解をしてくれた。
そして言った。「相談にのってくれなくてもいいから聞いてちょうだい」
私は娘に申し訳ない事をしてきた。
彼女の稼ぎをこの五年近く掠め取ってきたのだ。
家族の生活の為に家のローンの返済の為に。
その為に彼女は結婚資金を蓄える事ができなかった。
申し訳ないと言う気持ちにたえず苛まれながら、反面いいように利用してきた。
父親としては完全に失格していた。それどころか、もし娘に良縁があって知らない男に持っていかれたらどうしようと心の底で不安になっていたのだ。
娘の恋愛相談にのれる父親の器になれる筈はなかった。
私は心の汚い父親である。
私は自分の都合しか考えられない夫でもあった。
娘は五年近く付き合ってきた男と上手くいってないと
告白してきた。
彼女の目からは堪えきれなくなったか涙が零れて落ちた。
夜
悲しみの詰まった器になって
最愛の娘の泣く姿に
父親は狼狽えるしかなかった。
自由詩
人は哀しみの器じゃなくて
Copyright
こたきひろし
2020-08-18 23:57:35