眉毛惜しい
道草次郎

或いは小噺『洗顔異譚』



「顔を洗って出直して来い!」って言われたんで

顔を洗ったら顔がとれちまってね

仕方がないからそのまんま取って返すと

みんなして両手あげて逃げちまった

そんなこんなでしばらくすると腹が減ってきた

顔がなくても人間て腹は減るもんだな

でも口を失くしちまったから食べられない

はて、今ごろ口はどこかな?と思ったら

さっき目や耳と一緒に排水口へ流してしまったではないか

なるほど、ではちょうど今ごろ排水管の中か

しかたないから水道局に電話でもするかと思ったら

あ、でも口がないことに気付く

故に電話ができない

さて困ったなこのままじゃ餓死してしまう

腕組みしてそんなことをずっと考えていたら

どこからか「助けてー」と声がする

どこかで聞いたことがある声だと思ったらなんのことはない俺の声ではないか

ほほう、口のやつも困っているんだな

そしたらここはひとつ協力だ

口のやつが「助けてー」と叫ぶところまでいって、そこのところの配管をぶった切ってやるまでだ

口のやつは2階の女子トイレの右から2番目にひっかかっていた

「助けてー」

おうよ。えい!

さて口のやつ喜んで俺の方に飛び込んできた

それからはよくしたもんでおれたちは一番の仲良しさ

以前より絆は深まったともいえる

腹いっぱい飯も食えるし、もちろん用事だって十分足せる

まあ、一番良かったのはあのうるさい上司にあれこれ指図されなくなったことだな

え?目や耳はどうしたかって?

そりゃ水道局には問い合わせたさ

現在捜査中ってやつ

でもさ、やつらきっともうどこか異国の空の下だよ

俺にはなんとなくそれが分かるんだよ、やつらの気持ちがね

目のやつ、今ごろどこかの海にプカプカと浮かんで星空でも見てるんじゃないか?

耳ときた日には好きなだけ南の島で喃語を聞けるってわけだ

まあたしかに眉毛のやつだけは惜しかったな

あのやろう今ごろアマゾン辺りでシャクトリムシと並んで昼寝でもしてるんだろうよきっと

おれだってたまにはしかめっ面ぐらいしたくなるってもんさ

だから、まあ、眉毛だけは惜しかったよなあ






散文(批評随筆小説等) 眉毛惜しい Copyright 道草次郎 2020-08-05 13:38:44
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