第六七二夜の街
阪井マチ

「家が裕福で顔立ちも優れた青年が《街》におり、」とその物語は語り出される。
 思い掛けない一角から起こる破裂音が年々音量と頻度を増しているこの街の中で、世代を越えて変わらない物はこの上演会だけだったと言われる。ある年齢に達した幼い住民を一所に集めてこの会は開催され、音楽と舞踏で演出を施した朗読劇が披露される。劇の内容は毎年僅かに変わるものの、概ね次のような話の筋を辿る。
「恵まれた境遇で労働の必要のない資産を親から受け継いだ青年が世の中の美しい物に心を奪われて日々を過ごすうち、人との交際に興味を失っていった。しかし同時に自分自身への関心も薄れ、その頭を占めるのは例えば身近な事物や人間の外観に潜んだ美の在り方、物語の登場人物が死へ向かって進んでいく有り様、といった美と死に纏わる想念のみであった。
 ある日も美と死に思いを馳せながら彷徨していた青年は、それとは知らず《街》の境界を一歩踏み越え、未知なる領域へ入り込んでしまう。《街》による庇護を失いこれまで直面し得なかった恐るべき世界の側面に触れた青年は、あっけなく死に至る傷を負い、これまでの全てに呪詛を吐きながら悶え死んだ」
 朗読が終わり演者たちは舞台袖に戻っていくが、それと交替するように《講師》が現れて聴衆へ語りかける。
 いま演じられた劇は古い時代に起こった事実を描いたものだ、そしてこの不幸な罠に掛かる者は現在でも後を絶たないのだ、と。
 ある年の《講師》は前年の出来事として、失踪していた郵便屋の子供二人が動物になり帰ってきた事例を明らかにした。
 自宅周辺の通路を走りまわる姿が隣人に目撃されたのを最後に、二人は姿を眩ましそのまま何週間も過ぎた。振り絞るような精力を傾けて家族による捜索が続けられたが、手掛かりすらも掴めず、苦く重い時間だけが過ぎていった。元は笑い合う声が家の外からでも聞こえるような、近所でも仲の良さを知られていた一家であったが、二人の失踪以降は楽しげな様子を何一つ窺えなくなっていた。
 しかしある日、自宅の前に《全身が赤い燃えるような毛並みで覆われた蛙》が立っており、扉を開けた家族を抱き締めたのだという。驚いた家族が近所の住民に助けを求め人を集めたが、《蛙》がいつまでも身体を離さないため止むなく全員で殺害した。今まで目にしたこともない生物の死骸をどう扱うか議論している最中、その腕の古い傷跡に気付く者がいた。顔色を変えた家族がよく検分したところ、失踪した二人の身体にあった傷の治療痕や痣の類が《蛙》の肢体の同じ位置に確認できた。《蛙》から生えた十本以上の手足の内六、七本は子供二人の物だと思われた。よく見れば目元が親にとてもよく似ていた。子供たちは互いと何かそれ以外の物と一緒くたに混ぜ込められて、それでも生きて家に帰ってきていたのだ。殺害に手を貸した街の住民は頭を抱えたという。なぜ、どのようにしてそれが起きたのかは未だに分からない。
 また別の年には《講師》はこんな話をした。
 ある地域に伝わる神話では、かつて世界は乱舞する球体群とそれらを抱え込む遙かに巨大な虚無で構成されていたとされる。ある夜、球体の一つが割れて芽吹き、大輪の花を咲かせた後に硬い種子を辺り一帯にばらまいた。それらがある朝一斉に破裂し、種の大きさを遙かに超える巨大な容積の都市を生み出したのだという。長い時を掛けて花開く球体群はその数を増していった。結果として複雑怪奇な都市が縦横に拡がり続け、広大な虚無はみるみるうちに塗り潰されていった。そしてその営みは現在も続いているのだ。
 これは、我々を取り巻くこの無端の都市がいかにして成立したかの説明を試みる神話である。
 都市の一部が何らかの原因で厚みを失うことがある。それにより塗り潰されていた虚無が目を覚まし、街に住む我々の存在自体を危険に曝すこと、それこそが罠の正体であるのだ。さらに言えば、それを避けられる安定した一帯を《街》と呼ぶ。《講師》はさらに話を続ける。
 神話には続きがあり、最初の都市の誕生から今に至るまで一人の青年が内部を彷徨い続けているのだという。それが我々の始祖であり、現在の住人たちは全て青年の身体から生まれ落ちた子供たちである。青年は幾度も記憶を失いながら、今この時も果てのない都市の中を徘徊している。幾度も命を落としながら、分かたれた身体の一部からでも青年は徘徊を再開する。分かれた身体は長い時間の中で再び出逢い一つに融合することもあるだろう。結局、青年は歩き続け、そして何度でも死に至る。我々もまたこの性質を受け継いでいるに過ぎない。その為この世界で罠に掛かる人間は尽きることがない。
「だからあなたたちはこの《街》を離れてはならないのだ」
 どの年の《講師》もこう言って話を締めくくり、《街》の境界から外に出ることの危うさを強く訴えて上演会は幕を閉じる。
 終演後、幼い住民たちは自分の家への帰路に就く。翌日からはまた何も変わらない生活が始まるだろう。
 しかしふとしたときにあの一夜の記憶が頭を過り、《街》の外に出るとはどういうことなのか考え込む時間が訪れる。
 ある者は、安全な場所から離れてはならないという教えには意味があると思いつつも、そもそも《街》とそれ以外との境界の位置をどうやって知ればいいのか、その手段を持たない我々が何を避けられるというのか、と悲痛な思いを抱いた。
 またある住民は、あの朗読劇の内容は勝手の知らない場所で事故に遭ったというだけの昔からありふれた話に過ぎないと言う。年齢を重ねるにつれて、理由の無い失踪や未知の病、あるいは唐突な死に見舞われて家族や隣人が漸減していくことは全く特別なことでないと誰もが学ぶからだ。虚無などという荒唐無稽な概念を持ち込んだ神話に説明を求める必要はどこにもない。共通の体験としての上演会は、しかし、この街の全ての人の考える基盤としての機能を果たしていた。
 《街》の外側へ踏み出す者が現れたとき初めてそこに《街》の境界が引かれるのだという意見も根強かった。さらに言えば《街》の外部に出る人間の存在が《街》の存続には不可欠であり、誰も境界を踏み越えなくなったとき《街》は消滅する。だから犠牲者の苦悶を尻目に《街》の営みは粛々と続くし、境界が刻々と移り変わることで《街》自身の姿も日々歪み続けているのだ、と主張する者もいた。
 いずれにせよ、この《街》の境界を知る者は誰一人いない。


散文(批評随筆小説等) 第六七二夜の街 Copyright 阪井マチ 2020-07-23 01:57:44
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