混沌ー予備校のことなど
道草次郎

くたびれはてたやつらが
ざくざくとわきだしてきて
としとったたいようとあくしゅをする
わたくしは
くるい
すべてをだめにしたあとで
えりをただして
あしたにあいさつへいこう



「余りにも多くの命が敷き詰められたジャングルという混沌は、そこにある部分部分を総合しても到底出来上がる代物ではない。そこには、何らかの意志が宿っている、そう考えたのがアマゾン流域の部族ヤノマミです。彼らの口承神話に寄ると……」

白い机に突っ伏したままの大検予備校生のぼくは、講師の話にまったくと言っていいほど興味が湧かない。
窓の外に目を遣って街路樹のむこうをぼんやりと眺めるばかりだ。

BOOK・OFFと蔦屋の大きい看板が見え、そのまた先には小さなカラオケボックスの看板。やたらと看板の多いこの地方都市には、高層ビルというものが見当たらない。

半年前に廃業した商店は手付かずのまま放置され、蔦が絡まる廃墟と化していた。その壁面を素早く這いまわるシルエット。あれは、おそらくヤモリの影。若い頃のぼくは視力が良かったのだ。

東京?別に行きたくないよ。人が多くて疲れるし。親や知り合いにはそう言っていたけれど、本音を言えば、大都会のあの圧倒的なリアル感が恐かったのだ。



その予備校には様々な事情をかかえた色々な人が集まって来ていたけれど、その多くは高校を中退したか休学を余儀なくされている若者たちだった。

休憩室には安っぽい長机が三列しつらえてあるだけで、お世辞にも落ち着いて休める場所とは言えなかった。冷房の温度は決まって高めに設定されおり、そこでじっとしてると却って疲れてしまうくらいだった。

入口近くの席にはいつも決まっておそろしく太った皮肉屋の男が居た。そして、たいてい気の毒な話し相手をつかまえては何かの悪態を付いていることが常だった。古文を教えていた若い女性講師がそれまでは彼氏いないの一点張りだったにもかかわらず、突如として入籍を発表した事に対してニヤニヤと引き攣った笑いを浮かべ、「女狐め」と言い捨てたのをぼくは何の感情もなく聞いたりした。

また、後方の窓際の席には、イベントコンパニオンのバイトをたまにやっては小金を稼ぐ、ボブヘアーの美女が座っている事が多かった。彼女は自分の美貌を十分に自覚しており、それゆえに、いつも気だるそうにしていることを自らに課しているようだった。一種独特の雰囲気を持ちながら、不思議と彼女の周りにはいつも男がいた。むろん美人であったから当然ではあるのだが。しかし彼女は、同性である女のことを心底憎んでいるようだった。

ぼくはと言えば、ほとんど誰とも話をしないでアイザック・アシモフの『 ファウンデーションと帝国』などの古いSF小説を読むふりをしていた。1人だけオカザキ君という背の低い病んだイノシシみたいな話し相手がいたけれど、彼は彼でいつの間にか気の合う友人を他に見つけ、ぼくの元から離れてしまった。

その時のぼくが何に悩んでいたかは今となってはよく思い出せないのだが、17歳で大学入学資格を得たそのすぐ後、進路面談において前後と何の脈絡もなく、「自分がいかに矮小な人間であるかそれを知りたいだけです」と言い放ち世界史の講師を閉口させた事を覚えている。

そう言えば世界史の講師は四十絡みのアラブ人みたいな顔の男で、顔に似合わない頼りなさげな優しい声の持ち主だった。オスマントルコの領土拡大に伴う近隣諸国への影響と十字軍遠征の愚行の間に、自分が高校時代に組んでいたバンドの話を挟むような人だった。一児のパパで、何故かギリシア語の勉強をしていた。

その頃のぼくは何もかもが不満だったかもしれないけれど、家に帰ったら普通に食卓につき、テレビのバラエティー番組を観ては大きな声で笑ったりするどこにでもいる10代の男の子だったと思う。親戚の集まりには顔を出したし、近所のおばさんにもちゃんと挨拶をした。漢字が好きで分からない言葉はすぐに電子辞書で引いていた。満員電車の中でもお構いなしに電子版広辞苑を操ってしまうような青年だった。

話は戻るが、ぼくが通っていた予備校は当時全国にスクールを多数展開していて、そこで働く講師及びスタッフの人事は流動的なものであった。他県のスクールから新しい講師がやって来るということも割と頻繁にある事だった。その時の代表はたまたま関西からやってきた人で、度が過ぎる明るさを周囲に振りまいているような男だった。ぼくも下の名前にちゃんを付けられて何度も呼ばれたけれど、いつもどこか腑に落ちない気分だった。日焼けしたタヌキみたいな奴だなと内心思っていた。


ぼくの予備校時代は青年らしい鬱屈はあったものの、10代の瑞々しい青春や恋愛のいざこざ、友情などからはまったくと言っていいほど縁遠いものだった。むしろ周囲をぼんやりと眺めては、自分よりも一歩も二歩も先を歩いている同年代の一挙手一投足に、敏感過ぎるぐらい敏感だった気がする。

誰かが誰かに若者らしい何事かをつぶやく度にぼくの背筋はピリピリと反応し、もちろん女の子とは目も合わせられなかった。獣医になる夢を持つ革ジャンを着た金髪の男が物理の講師から妙に親しくされ、居残りで積分をマンツーマンで教えてもらっている姿を見ると、なんだか自分は本当に取り残されたみたいだった。


やがて、進学にともないその予備校に行くことを止めてからも、自分がそこで何を学び、どんな人とどういった話をしたのかが未だにはっきりしない。部分部分は記憶に残っているのだが、それを集めてきて1つの統合したイメージを形作ることが上手くできないのだ。

ぼくに限らず、もしかしたらこの10代後半の時期は、世界は混沌そのものとして立ち現れてくるのかもしれない。その混沌を理解する手立てを持とうとするには、若さはあまりにも純粋で潔癖過ぎるという事だろうか。

しがない一人の中年男が過去を顧みてそこに一つの結論を見出す事など容易いはずなのだが、やはりぼくはまだ子供なのかも知れない。いや、むしろ老成し過ぎているのだろうか。

正直に言うと、何もかもよく分からないのだ。ああいった一つひとつの出来事にもちゃんと意味があり、因果法則のようにそれらが相互に関連し合っているとはなかなか思えないのだ。

世界にはカオスという途轍もない巨大な塊があるだけで、肥大化する太陽のようにジリジリとこちらに迫ってくる事を感じずにはおれない。それが実感である。

予備校生だった時ぼくは、おじさんというものはとにかくよく分かっているものだと思っていた。少なくとも自分よりは分かっていると。


しかし、ぼくは昔のぼくに言いたい。
歳をとるというのは自分が未来へ歩いて行くんじゃない、未来の方がこっちにくるんだ。人はじっとしているだけさ。未来から吹く風は体を揺らすけど、なかなか中身までは届かない。でも、それを良いとか悪いとかの基準で判断するのはやめた方がいい。複雑さと混沌をありのままに引き受けること、そして振り返らないこと。いまぼくに言えるのはそれだけだよって。


散文(批評随筆小説等) 混沌ー予備校のことなど Copyright 道草次郎 2020-07-23 01:24:05
notebook Home 戻る