ワタナベさん
道草次郎

20代後半の頃、ボランティアをしていた事があった。

それは人生で唯一、サンタクロースの恰好をしてジングルベルを歌うのを自分に許せた季節であり、一銭にもならない仕事の代わりに、食べきれない量のお菓子とお茶を見ず知らずの人からもらった日々であった。

当時働いていた仕事場の事務所が入っているビルの1階が市のボランティアセンターだったこともあり、ぼくは、時々そこへ立ち寄るようになった。

あの頃は非常勤の仕事を終えると、草原へ放たれる羊みたいに街へくり出してどこまでも意味もなく歩くことがよくあった。でも、その日はたまたま、当時主宰していた自助グループの集まりに顔を出さなければならず、数ブロック離れた場所にある別の建物まで行く事になっていた。

その日は、夜8時頃に4階にある薄汚い革張りのソファー前で集まることになっていた。なので、それまでどこかで時間を潰さなければならなかった。

とりあえずぼくは街で1番安い飲料が買えるスーパーへと赴き、コカ・コーラゼロとノンブランドの缶コーヒー39円を買うことにした。少し緊張してレジに列んでいると、偶然となりのレジの列にワタナベさんがいた。

ワタナベさんは、ボランティアセンターで知り合った人で、何かよく分からない事をするボランティアグループを2つ兼任している人だった。

ワタナベさんの正確な年齢は不明だけれど、見た所はだいたい50代前半という感じで、言葉の端々からは、どうやらだいぶ歳をとったお母さんを介護している様子だった。

とても柔和で若い人にはとりわけ優しい、という印象をぼくはその人に持っていた。ワタナベさんが参加しているあるボランティアグループにまだ19歳の男の子がいた。その子は後に知ったところによると、てんかんの発作を抑えるためにかなり多くの種類の薬を常に持参していたらしい。信じられないほど利発でジャズに造詣が深く、いつも英語を勉強していた。サンタクロースのトナカイ役を買ってでたのもこの子だった。ちなみにぼくはサンタBである。

彼はワタナベさんと一緒に、ボランティアセンターが発行するボランティア便りという何百通ものチラシの整理をする、というボランティアをしていた。ボランティアのためのボランティアである。何かのいきさつで、ある時、ぼくもそれを手伝うことがあった。

ワタナベさんは19歳の子に対してとても丁寧な態度で接し、その子もワタナベさんに対していつも丁寧な言葉で応えていた。部外者のぼくがいきなり割り込んでその辺をうろうろし始めても、2人は自分たちに与えられた作業をどこまでも坦々とこなしていた。

しばらく休憩することになり、ソファーに腰掛けてお茶を飲むことになった。ぼくのちょうど真向かいにワタナベさん、横に19歳の子が座った。ぼくは自分が今やっている自助グループのこと、そこで知り合った同年代の人たちの近況や、本が好きなこと、育てた事のない野菜がメロンとスイカだけだということ、母が胃がんになったこと、自分も同じ病気になるかもしれないことなどを取り留めなく喋ったように思う。

19歳の子は黙ってぼくの話に耳を傾けていた。ワタナベさんも同じく黙って聞いていたけれど、相槌をうちながら時々お茶を口に運んでいた。

キケロが『老年について』でこんなことを言ってたけれど、とぼくが上目遣いにいくつか言葉を引用した時、19歳の子は何かすごく頭にきたという感じでななしさんはコーディネーターのサカイさんをご存知ですか?と不意を衝く質問をしてきた事がある。そんな時もワタナベさんは笑顔でぼくらの様子を見ていた。

休憩時間が長引くにつれ痺れを切らしてきたぼくが、少しそわそわと体を動かし始めたとき、ワタナベさんはぼくの目を見てこう言い放った。

「ななさしさんは、いい目をしてるねえ」

ぼくは少しわざとらしくとぼけて、え?という返事を返すと、ワタナベさんはすでにお茶を飲み終えて作業に戻ろうとするところだった。その時のぼくは、肘掛けをいきなり抜かれてカクッとなる漫画のキャラクターみたいだったと思う。

それからしばらくワタナベさんとは会っていなかったのだが、ぼくがスーパーでワタナベさんを見かける数ヶ月前、誰かからワタナベさんはとある宗教団体の熱心な信者であるという噂を耳にしていた。

しばらくは、ぼくもワタナベさんもお互いの存在を感じとりつつも声をかけるまでには至らない状態が続いていたが、ワタナベさんの方が先にやぁと手を振ってくれた。

「ななしさん、お母さんお元気?久しぶりだね」

ぼくもワタナベさんのお母さんお元気ですかと言って、ボランティアグループのみんなは元気ですかと尋ねた。

レジとレジの間でひとしきりそんな他愛のない会話をしていたら、先にワタナベさんの方にレジの順番がきたようで、「ななしさんじゃあまたね、またボラセンで」と言い残して行ってしまった。

ぼくはなんだか不当に会話を中断された子供のような気分で、レジ袋に買ったものを詰めるワタナベさんの後ろ姿を眺めるしかなかった。あれ?という感じをぼくの中に残して、ワタナベさんは店を出て行った。

それからは1度もワタナベさんとは会っていない。

あれからというもの、ぼくはなんとか所帯を持ち、それにもかかわらず職を転々としてきた。色々な事があったけれど、ボランティアをやっていた頃の自分とは毎日のように心のなかで話をしている。この間は掴みかかったし、昨日は逆に諭された。

もしかしたらワタナベさんは働いた事がないんじゃないか…こんな疑問を当時のぼくが抱いていた事は否定しない。当時のぼくは、けれどもそれを他の誰かに訊ねてみようとは思わなかった。なかには、そっとしておいた方が良いこともあるような気がして。というよりも、よく分からないままにしておいた方が、ぼくの気持ちが楽だっただけかも知れない。

いずれにしろ歳月は流れ、今日のぼくに、こんな風な文章を書かせている。

これから先、ぼくがもう一度サンタクロースの恰好をすることがあるとしたら、たぶんそれはちょうどワタナベさんの歳ぐらいになってからなのではないかと思ったりする。

だから、前言撤回。サンタクロースの季節はもう一度巡ってくるかも知れない、今はそう思うことにしようか。




散文(批評随筆小説等) ワタナベさん Copyright 道草次郎 2020-07-22 15:26:38
notebook Home 戻る  過去 未来