201912第四週詩編
ただのみきや

 *
昼の薄暗い店
キーケースからはみ出した
鍵がぼんやり光って見える
蝶がビロードの翅を立てて止まっていた
氷が解けてもグラスが溢れることはなく
微かな光を傾けてもピアノは眠ったまま

触れると蝶は灰になり
影だけがカウンターの上を横切って消えた
昨夜の出来事はたぶん本当で
夢のようでも起きたことなのだろう
二日酔いに効く音楽などそうそうない
脳が頭蓋をノックしている

目を閉じると
外では陽が射しているように感じた
ポケットを探ってもやっぱり何も無い
後悔はないが安らぎもない
病んだ男のように振舞おう
次の欲望が目覚めるまで



 *
膝枕してください
りんごを剥いてわたしの口に入れて下さい
セザンヌの 赤ではなく青いのを
そうして見下ろして下さい
ジャンヌ・デュヴァルの目で
わたしの羞恥心が痙攣して濡れるほど
サンダルウッドの煙にくるまれて
朝から遠く船出します どこかの海で
暗い荷包みのまま沈めて下さい
死んだ金糸雀が歌うように笑い
わたしの心臓に触れて 
指先でなぞって下さい 戯れのままに
充分意味深に捉えるでしょう
不埒な人間ですから



 *
雪より白いものはなにか
水より澄んだものはなにか

見えるという目隠しで
清さや聖さと結ばれたもの

大気の不浄と塵芥を含み
地の汚れた泥土と交じり 濁り 集められる

この汚れたものを純化して
再び天に還らせるものは火

小さな火ではなく
太陽そのもののような大きな火で

一瞬にして在り様を変える
すべての汚れから分かたれて還る

水と火の結婚
生まれ変わるために

避けて通れない
在り様の死

互いを滅し合うような
運命の出会い

雪より白いものは何か
水より澄んだものは何か

火は現象でしかない
燃やすものと燃えるものから生じる

愛――ゆらめく仮象
地獄のように熱く天国まで送ってくれる



 * 
冬にこの街では美しい氷の彫像を造る
一定期間飾られた後それらは撤去されるが
わたしは女神像を想う
本当は誰も見たことがなく
それでも絵画に彫刻に描かれ続けたもの
氷の女神像を想う
ある眼差しを透過し 
ある眼差しを反射し陰影を添え
そうして美しい形を
保つことなく瞬く間に溶けて
水となって流れ去る
形を持たないものが形を持つ
身体を持つ奇跡 それは
一瞬でなければならない
永遠を模索しながら引き伸ばされて
言葉のピンで留められた概念に対し
イメージの具現化は
一瞬のゆらめきでなければならない
錯覚かと 夢かと疑うほどに



 *
丸いパウンドケーキの包み紙が剥がされて
中古楽器屋の作業台に乗せてある
もとはバーのカウンターだったような場所だ

暗い店内のガラス戸から
二十歳の頃見たような夏の陽射しが濛々として
倉庫の間の狭い路地には大麻も生えているだろう

髪の長い髭を生やした男が
Tシャツにデニムのエプロンで
取り外したストラトのネックを奥へ持って往く

なぜここにケーキがあるのか 誰が置いたのか
胡桃かスライスアーモンドか
そんなものが乗っているパウンドケーキを

音楽の気配がしない店自体が
死んだ楽器のホウロのようだと
気づいた時にはそこは何もない倉庫に変わっていた

ペンを持ったまま目を閉じて
一瞬落ちた眠り中で
互いに戸惑う 老いと若さ



 * 
一足先に夜は来ていたが
意識はまだ白昼を彷徨っていた
だがいつまでも騙し続けることはできない
これは夢ではないのだから

一枚の暗いセロファンか
いっぱいに広がったネガフィルムのようなものが
ゆっくりと歩く速さで迫って来た
真新しい戸惑いを心地よく感じていた

目の前まで押し寄せた暗いセロファンを
指で破ると 空気のように抵抗もなく
ただ少し冷たい感じがした
意識が夕闇に捕らえられた瞬間だった



 *
液体窒素に浸されたバラは
砕け散る刹那なにを想うだろう
乾き切った枯葉とそっくりな
微かな声で笑うだろうか



 *
遠い夜を追いかけてここまで来た
あと三十二小節といった距離だろうか
夜の入り口の薄暗がりに女の後姿が見える
側まで近づきたいが追いつくことに躊躇がある

心臓はところどころ八分や十六分休符を帯び
裏表が入れ代わるファンキーなラインを刻んできた
どんなセッションにも終わりがあるし
終わり方が重要だと感じてもいる

液体窒素に浸したバラを一輪
心臓は青黒く壊死しつつある
息苦しさはとっくに通り越し
あばらだけが開き放たれた窓のようだった

大きく蛇行したベースラインだった
十数年前にフレットを抜いた
メキシコ生まれのプレジジョン
傷だらけの安物でわたしとは性があった

やっと女の後ろ姿に手が届く距離まで近づいて
肩に手をかけようとした時
無性にお尻を触りたくなった
混乱していた 正しい終わり方を探しながら

夜のまだ浅い薄暗がりへ手を伸ばすと
わたしの手は木の枝のように見える
肩を掴むと女は振り返った
女は裸体で顔は凹凸だけの素体のようだった

愛を完了するために
わたしは心臓から凍ったバラを抜いて
女に捧げた
これは礼拝ではなかったが

ただ礼拝を模倣するような面持ちでしか
想いを表現する術がなかったのだ
たった一度
一本の凍ったバラを捧げること

自己完結すべき情念の立ち上る炎を
冷たく砕け散る結晶にして
わたしは女について闇に分け入る
見えない中で感じている

眠りと目覚め交錯に夢と現は撹拌されて往く
繰り返されるセッション
壊れたおもちゃがカタリと鳴って
対象を求めて情念が狂い出す



言葉は指し示す矢印でしかない
眼差しの突き当るオト



 *  
十二月の冷たい溜息
頬におりた最初の綿

眼差し鳴らす道すがら
ふと眩み

酔い 迷い 夢の傍
影だけ下りた 忘却の

舞い 眩暈 闇の元
花房落ちる 匂いと鳴って



 *
人気のない場所を見続けている
公園の踏み荒らされた積雪の蒼い凹凸
苦悩の果てに天を掻き毟る若者のような
無造作に剪定された樹木
全身に漲っていた力の全てが失せて
仮死状態に陥った旗
取り残された古いアパートをいっそう惨めに見せる
新しい賃貸マンションのキザで冷たい装い
薄曇りの白っぽさのまま暮れて往く視界を
ぼんやりと漂流し続ける無数の顔
空白の底なしの深さを恐ろしく思う
文字はそこにただ浮かんでいるだけだ



 *
朝の公園のなだらかな坂の新雪を
幼子はそりで滑る
ゆるゆると ゆっくりと
途中で止まってしまうくらいに
うすい雪雲に漉された日差し
風花が舞っている
父親に押された
小さな青いそりに乗って
丸く着込んだ幼子が遊んでいる
遠くからでもわかる
紅い頬と白い息 笑みを浮かべ
あと数回滑れば
父に引かれたそりにちょこんと乗って
帰るのだろう 寒い日だから
冷えたからだが温まるころ
いとも容易く眠りにおちるだろう
深く 深く すとんと落ちて
底まで落ちない 
なにかの手が受けとめる



 *
赤い花弁から濃い匂いがする
ラムで湿ったキスの匂い
その女が奏でるギターと歌声は
もう一人の女になって踊り出す
髪を振り乱して腰でスウィングする
花弁の上の瞳は解けない謎で
いつまでもわたしを虜にする










自由詩 201912第四週詩編 Copyright ただのみきや 2019-12-29 16:42:34
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