死のオムニバス
こたきひろし

小學校に上がるか上がらない頃でした
ある日の黄昏時
お須賀ばあちゃんは便所で倒れてしまいました
凄い音がしたので
孫の私が見に行くと
お須賀ばあちゃんは横倒しになっていて
小刻みに体が震えてました
私はビックリして
裏の畑で作業していた父母を呼びにいきました
医者と看護婦が隣村の診療所から自転車でやって来ましたが、既にお須賀ばあちゃんは
自宅の畳に敷かれた布団のなかで
往生していました

まだ定期バスに車掌が乗っていた頃でした
県道は舗装されておらず砂利道でした
気立てがよく美人と評判だった車掌さんが
どういう経緯でそうなったかは不明ですが
近隣の若い男に暴行されて絞殺されました
犯人は直ぐに逮捕されて刑務所に入りました

中学二年の年に
ひろちゃんは一年でした
苗字は違うけれど名前がいっしょだったひろちゃんとは小さい頃から二人でよく遊びました
なのに
ひろちゃんは盲腸炎が手遅れになって
死んでしまいました
両親が医者にみせる金を惜しんだようでした
と言うよりは慢性的な貧困が原因だったに違いありません

福寿さんはとてもおめでたい名前だったのに
名前負けしたのか
田んぼの土手の草むらでまむしに噛まれて命を落としました
子どもは二人小學校にいっていて、奥さん綺麗な人でした

三歳上の姉は高校を卒業すると
都会に出て郵便局に就職しました
三十近くになって銀行員と結婚して
子どもを二人もうけました
五十代半ばに肺癌になって他界しました
弟思いの姉でしたが

父親は冬の夜に風呂場で倒れました
脳内出血でした
病院へ運ばれて呆気なく亡くなりました
認知症の始まっていた母親を
献身的に介護していたのに

母親を介護してくれる人がいなくなってしまいました
家を継いだ長男夫婦は
施設に母親を入れました
施設に入って間もなく
母親はほとんど寝たきりの暮らしになりました
施設にとってその方が都合がよかったようでした

母危篤の知らせが携帯電話で知らせられました
丁度ゴールデンウィークの真っ最中で直ぐに大渋滞にはまりました

病院へ駆けつけた時は臨終の後でした
長男の嫁さんに叱責されました
「おかあさん、ずっとずっとひろしさんが来るのを待っていたのよ」
そう言われて緊張の糸は一度に切れました
涙があふれてあふれて
その場で号泣してしまいました

あれから何年の歳月が過ぎたでしょうか
郷里の実家は空き家になってしまいました

私の心には穴が開いてしまい
それを塞ぐ蓋がいまだに探せないでいます


自由詩 死のオムニバス Copyright こたきひろし 2019-12-15 08:21:34
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