自分史(音楽事務所勤務時代11 ー 長女誕生)
日比津 開

 結婚した翌年の4月3日に長女が産まれた。
妊娠がわかり、産まれる6ヶ月くらい前から
男の子でも女の子でも、「みなと」と命名す
ることに決めていた。
 自分の子供ができるのがこんなにも嬉しい
ものだとは知らなかった。

 港に近い東京都港区に住んでいたこと、港
は船が広い世界へと出航し、また帰ってきて
停泊、休む場所であることから、そういう港
のように広い世界へ出て行ってほしい、彼女
がいることによって周囲の人が安らげる存在
になってほしい、という願いを込め命名した。

 ただ産まれた子供は、片方の鼻の骨が穴を
殆ど塞いで息がし難い障害があった。そのた
め、4月から8月まで札幌の産まれた北大病院
にそのまま入院し僕は休みの日に東京から札
幌に月2回くらいのペースで会いに行くことに
なった。
 入院中は常に口に装置が付けられ、吸引さ
れる姿が痛々しかったが、集中治療室で抱っ
こすると可愛らしく、愛しさが増した。

 4ヶ月間の入院のあと退院し、港区の自宅
に家内とともに戻った。家内は出産予定日の
2ヶ月前から札幌の実家に戻っていたため、
自宅に帰るのは半年振りになった。東京では
世田谷区の国立の子供病院に通院、入院した。
 治療のとき痛がって泣いたり、入院のとき
子供1人残して家に帰るときなどは辛かった
が、同じような病気で入院している子たちの
中から友だちができたのは嬉し泣きするくら
いありがたかった。


散文(批評随筆小説等) 自分史(音楽事務所勤務時代11 ー 長女誕生) Copyright 日比津 開 2019-11-11 02:12:11
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