複雑性PTSDという病、メンタルハラスメントにあってからの再発と回復
田中修子
複雑性PTSDという病気と、メンタルハラスメントにあってからの再発と回復を、ただ淡々と、いまその症状に苦しむかた、それからいわゆる健常者のかたにも届くような書き方で書いてみたいと思っている。
想像してほしい。
あなたはいつも通りの生活を送っていた。そうしてそのときやらなければならない仕事をこなしていた。小学生だったり、大学生だったり、社会人だったり。
ありふれた日々だ。退屈なことも嫌なこともあるが、時たまの気晴らしのために働ける。うっとおしい梅雨の時期には紫陽花が咲き、ビニール傘の雨粒越しにその紫陽花が煙るのを見てすてきだな、と感じたりする。
そこにとても高圧的な人が一群やってくる。その人々は少し前まで、あなたの両親だったり、クラスメイトだったり、仕事先の仲間だったり、趣味の友人だったりした。その人々がまるで豹変したかのようにあなたを罵ったり、無視したり、情報操作をしたりする。
彼らはとても姑息で、ほかのおおくの世界からあなたを分断する。その人々があまりにも巧妙にあなたを孤立させる。(私の両親は地域の有力者だ。だから、「あの人がああするのであればあなたがおかしい」という二次被害には、ずっとずっと遭いつづけてきた)
「のたれ死ね」「お前が悪い」「秘密をバラしてやる」「あんたが一番損をするんだからね」
あなたは恐怖する。体の方では交感神経と副交感神経のバランスがおかしくなる。セロトニンという物質が不足して、生きたいという気持ちが薄くなり、世界は灰色になる。食事は砂を嚙むようだ。味がしないのでいくらでも食べてしまい、食べ過ぎて太るとよりあざ笑われるので、のどに突っ込んでトイレに戻すようになり、よりいっそう自己嫌悪に陥る。あなたは不信の眼差しで世界を睨みつけるようになる。そうすると、目つきが悪いという理由で全く知らない人に絡まれたり、暗くて引っ込み思案そうという理由でさらにあなたを利用する人々を呼んでしまう。真夏だというのに空は灰色だ。酒を飲むと少し気分が紛れることに気づく。やがて気分を紛れさせるために飲んでいた酒が、酒がないと生きられないようになる。あなたはあなたを異常、意志の弱い人間だと貶め始める。
困り果てたあなたは精神科のドアをノックする。多くの精神科では、ろくに話も聞かれないまま、多くの病名が付き多くの薬が出される。精神薬に不信を覚え代替療法やカウンセリングでなんとかしようと思うかもしれない。カウンセリングの世界にも、たくさんの間違ったことがある。たとえば私は親に連れられて受診し自分の成育歴に悩みを持っているという状態で「境界性人格障害」という診断を受け続け、精神分析を受け続けた。(現在では、境界性人格障害の幼児期に虐待や無視が多くみられることから、解離性障害に病名が変更になっている)この時点でそれまでにない侵入性の悪夢からの不眠、自分を切り刻んだり焼いたりする自傷行為が激しくなった。
ここで、ゆっくり話を聞き、あなたが悪いのではなく、あなたの上に様々な問題が噴出してしまっているだけだと理解を示したり、その恐怖がはじまる前の、正常なあなたにいつかは薬なしで戻れると信じてくれる精神科や、PTSD患者に精神分析をしてはいけないという知識のあるカウンセラーに当たれば、それは回復の一歩になるだろうが、その病院を探し当てる前に、あなたはボロボロになってしまっているかもしれない。
かつて、体中のあらゆるところから血を流し、包帯を買う金もなく、傷の上に生理用品をセロテープで巻き、その上からフェイスタオルを結んでいた私のように。
あなたは精神疾患者になった。
なったらなったで今度は、自分に自信のない人が自分より下のものを見つけて叩くために「メンヘラ」と名付けている世界がはじまる。あるいは病的な行動そのものが魅力を持つ若い層に「メンヘラ」と、少し畏敬の念をもって呼ばれ始める。(「メンヘラ」という呼称を考え付いたのはどの層だろう。)
やがてあなたは「メンヘラ」である自分自身にしか価値を見出せなくなり、「メンヘラ」らしい行動をし始める。ODしてみた、腕を切ってみたとネットで誇示してみる。「メンヘラ」仲間同士で集まるうちに、自死者が出る。あなたは自死を願うようになる。
しかしやっと日本にも新しい知識が普及しはじめている。虐待や苛めに遭えば、PTSDを罹患するのは当たり前である。自身の病識を持って回復し、生き抜く「サバイバー」という言葉があると。
メンタルハラスメントという単語は私の造語である。
しかし、私の友人にも、レイプ被害を克服しようとする精神科医とのセッション中に、精神科医に性的な被害を受け、その精神科医を通じての回復が不可能になった子がいた。あれを一体何と名付けるかといえば、メンタルハラスメントというのがしっくりくるだろう。彼女は結局、慢性貧血からの心臓肥大で、季節の変わり目に心臓発作で亡くなるというある種の完全な自殺を遂げた。その友人は幼児期から家庭内で性暴力を受けていた。彼女が複雑性PTSDという精神疾患を罹患しなければ、つまりその状況で健常に生きていたら、その方が「異常」ではないか。
彼女のことを引き合いに出すのは、ためらいがある。しかし、おそらく彼女が遭った目と似たような目に、今回私も遭ったのだろう。
つまり、精神科医や心理職というものも、PTSD症状に詳しくなければ、あまり、信用してはならないのだ。ましてや、ネット上にいる自称心理職など、PTSD患者は、決して、絶対に、信用してはならないのだ。
そして、その手の人というのは、どこにでもいるのだとあらためて噛みしめる。
友人が被害に遭ったのは精神科医であった。私が被害に遭ったのとその仲間の方々は、現実の世界では、援助職であったり、いいお父さんであったり、倫理学者であったりするらしい。
「加害者タイプ」にあなたが思い浮かべるのはどんな人だろうか。私は、ある時まで、加害者というのは、まっとうな悪人だと信じていた。つまり、物心ついた時から犯罪に興味を持ち、常に噓をつき、酒を飲みながら女を犯し、窃盗を繰り返し、自分が罪を犯していると知り、やがて刑務所に行くような人々など。
このような絵に描いたように歴然とした悪党も、もちろん、いるのかもしれない(だが、もちろん、そのようなタイプの人にも、成育歴やその時の社会の抱える問題が積み重なっているはずである)。
しかし、いちばん恐ろしいのは、「善良な、優しい人」が自分のこころに無自覚な嘘をついて行ってゆく加害であることを、思い知る。アウシュビッツからの数少ない生還者であるプリーモ・レヴィが、生還後に一番苦しめられたのも、このタイプの善良なドイツ人であった。彼が収容所で骨と皮になってやせ衰えて病気にかかり、ドイツ人の医師に受診できた時、その診察室の窓から仲間のユダヤ人を破棄するための煙突が見える状態にありながら、そのドイツ人医師は、「あなたはなぜそんなに不幸な顔をしているのですか」と尋ねたという。そして、戦後、そのドイツ人医師からは、収容所でそんなことが起こっているはずがなかたったことと、自分は善意の人であるということを強調する手紙が来たという。
圧倒的な否認のもとに行われる、善意あるいは無知、被害者に責があるという「犯罪」にすらなりえない、それ。
彼女の苦しみを、いまになって、すこしだけ知れたと思う。
「少しでも他人を信頼した私がいけないのではないか」
彼女は、メンヘラと自分を卑下していた私に、サバイバー(被虐待児で精神疾患を罹患せざるをえなかったものが、回復して自分自身の生き方を取り戻す)という言葉を教えてくれた友人だ。将来は、被レイプ女性を診る精神科医になりたいという夢をもっていた。
きっと許してくれると思う。
前回の、平川某さんの記事は、文章それ自体が怒りを解き放つというものであり、攻撃性を帯びたセラピー文章であった。
ある意味で、このように自分の怒りに直面し、言語化できるというひとつの自信を持ったと同時に、いただいたコメントなどを拝見して、これではいけないのだ、と自戒の念をもった。
「精神疾患者が何か錯乱しながらものを書いている」
それ以上の文章にしなければならない。
私は、精神疾患者といわゆる健常者の枠をこえて、だれにも届く文章を書きたいと願う。
このところよく思う。いったい、精神疾患とは何で、健常者とはなんなのか。
今回私に遭った出来事はどうも、狭いネット詩界で、意外と多くの人に影響を与えているようだ。そして、この出来事自体を茶化してくれた作品まで出てきた。私はその作品をみて大いに笑った。そうして、自分のなかでユーモアの感情が死んでいないことにひどく安心した。
その作者が、「ハラスメントをするひとも、されるひとも、同様に弱いひとなのだ」という視点を提示してくれた。
そうなのだろう。
私は、治療の方針で現実でやらなければならないことがある。と、同時に、どこかで、治療の過程でメンタルハラスメントに遭って苦しんでいる人、あるいはPTSDの状態で精神分析を受け苦しんでいる人にとって、参考になる文章を書きたい、と思う。
PTSDの状態で、精神分析というメスで脳のやけどしたところを切り刻まれる、ということ。
私がいままで十年以上の時間をかけて克服してきた症状は以下のものだ。発症は、祖母の介護の強要を受け、彼女が目の前で転落してきた日にすれば、二十年以上もたっている。
アルコール依存症、自傷行為、拒食・過食や過食嘔吐の摂食障害、醜形恐怖、視線恐怖。
中学生のときから口止めとともに不適切なカウンセリングへのたらいまわしが始まり(これを精神的な子捨てという)、22歳にやっと自力で自分に合いそうな医院につながった時には、極度の貧血状態によって精神薬の投薬を始められず、鉄剤で内臓を治してから一日五十錠の投薬が始まった。
それから約十年間、回復に費やした。そして、一時期すべて寛解するに至った。
長かった。あまりにも多くの時間と、一部内臓の健康を失った。
過覚醒(不眠)の症状だけが根強く残り続けている。
今回、再発症したのは自傷行為と過食嘔吐だ。メンタルハラスメントにあったのが二月だったろうか。それがじっくりと効いてきて、目に見えるものになってきたのが四月半ばくらいだったように思う。当初、訳が分からなかった。薬だけが増え、やっと主治医に何があったのか口頭で伝えられたのが四月半ば。主治医はトラウマケア専門医で、いままで精神分析や催眠療法などでボロボロになってきた人をたくさん見てきたようだ。それで、なぜここまで症状が悪化したのかをやっと把握できた。
新しく出た症状は記憶の欠落と、覚えのない文章を友人に送るというものであった。
記憶の欠落という新しい症状が一番恐ろしかった。いぜん希死念慮がひっ迫して右の首を切って既遂しかけるということがあったが、記憶が欠落している間にもしそれを起こせば、止める術がない。五月中は、あたらしい症状の把握に、自分が使える時間と気力ほとんどを費やした。
記憶の欠落と、覚えのない文章を送り付けていた等は、解離止めの投薬によって収まり、腕を切るという自傷行為が、過食嘔吐へとうつっている。覚えのない文章を、うけとめてくれた友人、うまいことスルーしてくれた友人には感謝するしかない。
現在出ている症状、過食嘔吐は、子どもが保育園に行っている間に行う(2019/6/11 昨夜この文章を走り書きしてから、過食嘔吐の衝動は収まっている)。子どもがいる間はなるべくものを食べないように心掛けている。このところ、鶏肉とチーズは胃に収まることを発見した。夫には事情は話してあるし、過去の症状が再燃しているということを、担当カウンセラーと把握してもいる。
もちろん、過食嘔吐というのは、非常に惨めな気持ちになるものだ。
記憶の欠落は一か月で投薬で落着き、腕を切る行為は、二次被害(「あなたが我慢すべきだった」等)のほか一回で収まった(計二回)。
この過食嘔吐も、近いうちに収まることを願ってやまない。
私はうつ病チェックをすると、常時27点ほどある。7点以上は精神科へ、という点数だ。もう慣れてしまったが、おそらく普通の人々より慢性的な感情麻痺があるのだろう。22歳のとき自分で選んだ、カウンセリングが義務付けられているトラウマケアに特化した医院へ、週一で通院している。
メンタルハラスメントにあった直後、私はそれまで興味を持たなかった箱庭療法にいきなり興味が出た。いまのカウンセラーはPTSD患者への知識が深く、安心できる。
箱庭療法というのは、砂のおかれた箱庭に、ミニチュアの人間・動物や家、恐竜・花・マリア像・阿修羅像などのミニチュアを置いていくもの。例えば、私にとってマリア像は母性本能を意味する。私は虐待する母と無力な父の組み合わせの被虐待児である。マリア像の後ろに父と思わしき男性が完全に砂に埋もれてしまうこともある。
蛙やトカゲなどを私は現実で見るとかわいいと思うが、箱庭療法ではどうも加害者のイメージを持つらしい。ある時、ベッドに横たわる少女の上に蛙やトカゲがのさばっている状態の箱庭が出来上がった。
「この女の子が無力な私で、この一番気持ち悪いのがHさんで、私のこころとからだを搾取する対象としてみている。それからまわりにうじゃうじゃいるのが、仲間の人たち……私いま、こんな状態なんですね。自分自身では平気だと思っていたけど、少し彼らから距離を取らないと危ないです」
そんな風に、自分でもわからない自分のこころの状態を言語化し、距離をとるなどの行為をとってきた。逆に、箱庭の状態を見て、コミュニケーションをとろうとすることあった。
過食嘔吐は摂食障害にあたる。拒食なども摂食障害である。
これは、自分の意志では、ほとんど食欲の制御ができない状態をさす。
摂食障害は、母親とその子(特に娘)の関係に密接に関係するらしいが、なぜか、という理由は明確にはわかっていないらしい。
「複雑性」がつくと、たしかにすこし特殊かもしれないが、PTSDはだれもが罹患しうる病である。
それからまたうつ病とも実は密接な関係があるのではないかといまは思っている。「うつヌケ」という、うつ病からの回復を描いた漫画を読んだところ、多かれ少なかれうつ病を抱えているひとの中には、過去にちょっとしたキズを抱えていた。私のように状態が悪いとき、瞬きすると祖母が目の前で落ちていく等のある種典型的なラッシュバックというほどでなくとも、「小さいときお母さんやお父さん、先生に〇〇といわれた」という、ちょっとしたつらい心のヒッカキ傷が、のちに過労体質になったり自己肯定感の低い人になったりする経験は、みな、あるだろう。
最初に書いたとおりだ。それはあなたのところにも、普通に、少しずつやってきて、少しずつあなたを侵食する。……そういう意味では、戦争とも共通点があるかもしれない。私は自分や友人にあったことを、「こころの戦争が、だれにも気づかないうちに、ごく局地的に起こっていた」と人に説明することもある。
いじめに遭ったり、通りすがりにレイプに遭ってもなるし、震災に遭ってもなる。
事故や事件を目撃しただけでもなる場合があるし、友人や近親者が自殺してしまい、「なぜ気づけなかったのか」と自責の念にかられて、すぐれない気持ちが続くようであれば、それもまだ一種の罹患である。
また、ある種のひとびと、絶対に自分は精神疾患とは関連がないという否認や防衛の強い人々にとって、頭痛やめまい、腹痛などの身体化表現というかたちをとることもある。
そうして、私にでた症状、アルコール依存症、自傷行為、拒食・過食、過食嘔吐、醜形恐怖、視線恐怖などは、PTSD諸症状の典型である。
正常と異常というものがある。正常な人は、異常との間に大きな壁を置き、異常者を収容所のなかに押し込め、特別という焼き印をおす。あちらに行った人は、おかしいひとなのだ、と。そして、壁の向こうで起こっていることを、自分にはほとんど関係のないゴシップとして扱う。……しかし、頭痛やめまい、腹痛などのストレス性のものを含めれば、この世に完全な健常者などいるだろうか。
たとえば今回私やその他の女性に嘘をつき、悪態をつき、無視をしている「善良な」人々は、いったい「何者」なのだろうか?
私はこの人たちが、自称・文学をやっている人々ということに驚く。彼らはおそらく、最も、文学とは縁遠いところにある人々だろう。自分の中の醜い心理に直面しなければ、細やかには人間のことをえがけないだろう。
私?
「本当にいい人たちは、収容所からは戻ってこなかった」
死んでしまった子たちは、本当にまじめで、優しい子たちだった。家族を恨まず、加害者を恨まず、すべて自分が生まれたことがよくなかったと引き受けて、亡くなっていった。
ある意味で、いま生きているというそれだけで、私は相当年季の入った悪人である。醜い心理状態の人たちのもとで、それらをつぶさに観察し、ある時は利用し、生き延びてきた。-人は醜い、私も醜い、神も持たない私が信じていたのは、雨だれの音や咲く花、青い夕暮れや、一人ぼっちで聞いた夜の、真っ暗い海の音、そして亡くなった子のうつくしい思い出である。
私は死後、彼女たちがいったところとは別のところにいくだろうと夢想する。しかし、いまここに私の脳もからだも生きている。
回復して、収容所から一歩出、雨の音が美しく聞こえ、気に入った傘の色を見ながら、雨に黄色い花がしなだれ落ちるのを歩いて、振り返るとき、正常な人こそが私を狂気に追いやった人間であったことを思い知る。そして、いわゆる健常者が、「私はぜったい正常だ」と言って自らの狂気から目をそらす弱い人にしか見えないことがある。むしろ、収容所のなかで、生きようと、病識を得ようとあがく人こそが、大いに正常なのではないかすら、と思うこともある。
PTSD患者は、みな戦友だと思っている。それぞれが傷つき、攻撃的になったり依存的になるため、あまり近づくことがかなわない。-それでも戦友だ。私に起こったことが戦友たちの今後の知識になればいいと願っている。