痴情のもつれじゃありません 平川某氏と私のあいだに起こったこと、あなたはわたしのネタになる宣言等
田中修子

 平川氏との接触前、私は最低限の抗うつ剤一錠で過ごしていた。
 いまは、約二十錠に増えている。
 現実生活にも支障をきたしていた状態が一カ月ほどほどあったろうか。

 「えっ 痴情のもつれで私が怒ってると思われている!?(……あ~、平川さん無暗にポジティブシンキングにそう思い込みそう、そし周囲に妄想を垂れ流しそう)」
というのが、fiorinaさんから平川綾真智氏についての今回の騒動について、Twitterを通じてDMをいただき、やりとりをしているときに抱いた素直な感想だった。

 いったいどこから書き出せばいいんだろう。
 私のこころの状態を先に言えば、私はいま、「感情を抑圧しない」というカウンセリングのセッションを受けている。過去、怒りを抑圧する環境にいつづけ、自分に向けて自傷行為に及んでいたため、怒りを感じ、怒りの感情を対象者にむける、という、健常者ならばある意味で誰でもやってきたことかもしれないことを、34歳の私はいま、カウンセラーさんと二人三脚でやっている。

 おかしな状態である。そうか、怒りとは、真っ赤な炎が、真っ黒い海を舐めるているように、痛く、重苦しい。それが胸のまん中を荒らしているのか、と。

 私はこの文章をほとんど推敲せず書く。しっちゃかめっちゃかの乱文になるかもしれない。

 まず最初に書いておこう。今回、私は詩人の平川綾真智氏に対して怒っているのでは、おそらくない。
 現実でPSW(精神保健福祉士)とカウンセラーの資格を持つ平川某氏について怒り狂っている。そして彼からその資格がはく奪されることを願ってやまない。

 なぜ、私がこのことを重視するかといえば、彼は心理のやり方をもって悪意なく人を傷つけている。彼に悪意がないというのは、文学極道にある謝罪をみていただければわかる。悪意がないとうことはおそろしい。っていうかこの謝罪、悪意がないからなにもかもしかたないごめんなさいってことか。悪意がなかったら人刺していいって思ってる人々が管理しているサイトってことなのかな。ごめんなさいで済んだら警察も弁護士もいらないよね(極道の方って、ふだん自分がすんでいる世界がグロテスクだからか、本当に弱い人には優しかったりするよ。「文学極道」のかんばんおろして「文学チンピラ」にしちゃえばどうでしょう? いや、チンピラだって年齢行くとすごくあったかみのある人になったりするじゃない、精神疾患者ならば基本的にはもうちょっと遠慮するし、サイコパスにしては頭悪い。うーん、そう、いっそのこと、「頭 悪 い 」にしちゃえ。)

 http://bungoku.jp/blog/20190227-736.html
 
 正直言って、私一人であれば、たとえ私に被害者の面が多くとも、沈黙していようかと思っていた。実際に私が被害に遭ったと思ってから三か月が経っている。22歳のときに精神年齢が3才と5才とそれぞれ二か所の精神病院で診断された私の精神年齢はいま思春期にさしかかっているところで、世の人々のことを多く知らないのであるが、異常を「感じ」た瞬間さっさと断ち切っておけばここまでならなかったんでない? と自分にセルフツッコミ入れることもしばしばである。ま、解離して生きてきたため、その「感じる」というところが麻痺しているのだけど。

 しかし、私が他被害者と思っている2名と、ゆっくりゆっくりつながりをもち、やりとりをしたところ、事態は思った以上に深刻で悪質だった。そうしてやっと遅れて、怒りがこみ上げてきた。(ptsd患者は自分自身のためには怒りを感じづらいが、似たような境遇にある人を通して怒りを感じることができ、そうして回復へ進むことができる「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン)
※ちなみに、犯罪被害者に起こりがちな二次被害「あなたは我慢すべきだった」等はすでに経験済みです。前からですが、左腕はとてもボロボロです。

 被害者は私を含め3名である。
 私は私の回復のためと「感じ」この散文を現フォにアップする。しかし、同時に同じくらいに、他被害者二名の名誉が守られたリ回復されてほしいと「感じ」ている。その折り合いとして、散文urlを今晩中に被害者二名に読んでいただき、彼女らが訂正されたいところは好きなようにしてもらおうと思っている。そして、明日中にツイッターアカウントにこのurlを連動させる。(2019/5/18十代の女性詩人さんより許可を頂く 2019/5/22二人目の被害女性より記事訂正の依頼を頂く 2019/5/23気持ちに不具合を感じ連動は見合わせている)

 特に10代の女性詩人は、私のように週一回の通院とカウンセリングもなく、詩の先輩もなく、ほぼ孤立無援の状態でさらにカバードアグレッションを受け続け、精神薬が増薬になっている。平川氏と同じ九州詩壇であることで、「あの子は病気だからいうことを信用するな」という情報操作も行われていると、ご当人と電話して伺った。
 サイト内の人間関係をばらす(というより彼の妄想が披露される。だんだん疑問に思って当人たちに尋ねると、そんなことにはなっていないと言われる)とか、涙声になるとか、私とおなじだったが、ツイキャスのアイドル役をやらされる等、私よりひどい目にあっていた。
 ツイッター上だと好戦的で被害妄想を抱くキャラクターに見えるし、実際に被害妄想は、できるだけ調整するがどうしてもあるという。(この時点で彼女は自分の病識をつかもうとしており、生活やパートナーとの折り合いがつけば落ち着いていくだろう。現実生活そして詩壇でのサバイブを祈る)
 とても心細そうな声を出し、また自分の病識をつかもうと悪戦苦闘している様子が伺えて、私は、うんと昔の自分をふと思い出した。私は正直言って彼女の詩はよくわからない、しかし、あたりまえの、30代の大人として、彼女をなんとか守りたいと思う。私は30代の大人が、10代の子を利用する様をみたくない。大人は子どもを守るべきである。その逆転現象、子どもが大人に粗雑に扱うのを、もちろん私自身が体験し、見てきたことでもあるが。
 また、彼女のように何かしら病気・事情を抱えている弱者を狙う、というのもあまりにも悪質に過ぎるだろう。
 「病気のことがあるから信じてもらえないし、そういうふうにさらに情報がゆがめられていて……」
 平川某氏とその周囲の人間とは、そのように、人を孤立させることに長けている人間だ、と直感した。彼らの行く先々で、特にもともと精神的な何かを抱えている人々たちの人間関係が断裂されている。私は当初、狭いこの現代詩界という場所で、ひとびとがお互いに不信を抱いている状態がいったいぜんたいなんなのかと思っていたし、愚かにも文学極道ツイキャスはそれらの断絶状態を打ちやぶるものだと思って宣伝してもいた。違った。少なくとも彼らこそが現時点での現代詩界での「壁」である。ただ、「なれ合いこそが筆を弱くする」ともやっとわかってきた。私は症状が悪化しいい子をできなくなってから、表現が尖ってきた。このように孤立し喧嘩し争ってこそ、筆は鋭くなるのかもしれない。
 そう、私は生まれつき孤絶した人間であった。

 さて私は、精神疾患はあるが、症状としての誇大妄想はなく、カルテもある。証言は信じられるタイプの人間である。そのため、主治医には今回の件で現実でも対処するように勧められているし、それに励まされてもいる。詩人の人間関係というのはあやふやであるが、この医院がある限り私は精神的に孤立しない。
 しかし、10代の女性詩人の味わった孤独と辛さを思うと、ひとりの大人として、情けなく思う。
 彼女は私のように安全な依存先をほとんど持たない。やっと漂着できた言葉の浜で一年半近く、心理の手法を知る者によってカバードアグレッションを受け続ければ、症状が悪化して当たり前だ。
 皮肉なことに、彼女はその症状の悪化によって、平川某氏よりも平川綾真智氏よりも、比べ物にならないほどまともな人間であることが証明されたのではないかと思う。

 次にもまた女性詩人で被害者がいた。
 この被害者女性が平川さんを信頼して人には話しづらいことを相談していたのに、それを勝手に他人に話し、その人が情報を利用して不利益を生じさせようとした。

 カウンセラーには守秘義務があって、順守する。PSWにもまた、秘密保持義務がある。私が主治医に診察中に「カウンセラーが心理の手法を使って人の悩みを聞いて、その悩みを周りに操作してばらすということはありえるんでしょうか?」と「心理職として絶対に許されないこと。」と顔をしかめていた。主治医への依存を防ぐために、あまりアドバイスをしない主治医であるにも関わらず、彼が私に現実での行動を勧めたのは、私の回復もためもあれば、やはり際立って悪質であるという認識をもったからであろう。

 つまり、なにを言いたいかというと、「心理職の平川某氏は、その心理職を持ち続けることが、すでにできない」のである。……あれ。そうか。書いているうちに整理できたんだけど、平川某さんはもう「すでに」九州の精神保健福祉士でいることができないんだね。そうかそうか。

 さて、これからはどれだけ心理の手法が悪用で、なぜ私が怒っているかという説明にはいる。
 これは「理解しようとしてくれる人」に届けばいい。様々な事情があって精神疾患を抱え、そして状態で生き続けようとする人を理解する気持ちが少しだけある人だけでいい。

 心理のやり方で悩みを聞く、というのは、分かりやすく言えば言葉のハーブ療法とでも言おうか。
 うつ病等精神疾患を脳の癌としよう。もともとみな脳のつくりが違う。そうして、罹患した部位も浸潤してしまっている濃度も違うから症状は様々である。精神科医は西洋薬を与えつづけ、心理ではことばのやりとりでおだやかに症状を鎮める。
 特に、心理の人間のほうが、クライアントと対面でおしゃべりをつづけるため、かえって病み、自分自身が脳の癌を得たりする。ほかにもさまざまな現象が起きる。クライアントにのめりすぎて恋愛感情をもったリ、支配欲・憎しみ・面倒くさいという気持ち等をもったりする。とくにptsd患者の場合、セッションそのものがトラウマの反復となったりする。私の友人でも、レイプ被害を細かく話している最中に主治医に性的対象とみなされ、セッション中に主治医にセクシャル・ハラスメントを受け、主治医を通しての世界への安心感を絶たれて、最終的に自死を遂げた子がある。また、病気のままの自分で仕事をしたいと思って中途半端なカウンセリングもどきを学び、病んだ男性にアドバイスをしているとき、目の前で自慰をされて仕事が続けられなくなったという子がいたこともいま思いだした。
 できるだけそのようなことが起こらないように、1回50分のセッション・価格・手法は年々進化しつつあり、近年ではSV(カウンセラーのカウンセリング)が義務付けられているはずである。
 カウンセラーたちは、SVを通し、常に「自分が病んでいないか」をチェックしつづける。
 それなしには必ず潰れます、というのを知人のカウンセラーからきいたことがある。
 私自身、昔に、きちんと場所と金の境界がある場で、カウンセラーに陰性転移を起こされたこともある。性的なものではなかった。おそらく憎まれたのだと思う。一時間一万円支払っても嫌われる自分というのは、最悪な気分だった。それ以来、個人のカウンセリングは信用しておらず、精神科医と提携できちんと交代のカウンセラーも用意されている、いまの医院を選んでいる。

 というわけで、もう平川某氏って潰れてる。病んでるひとが病んでるひとにカウンセリングもどき、自分の言葉のハーブをばらまき続ければ、それは、「洗脳」「依存」すごいことになる。
 
 私には家庭があり、彼に恋愛感情を抱いたことはない。
 また彼自身も「友人になりたい」という名目で来たのだから、友人以上になりたかったわけではない、と信じたい。しかしおそらく彼は、半ば友・半ばカウンセラーというあいまいな立ち位置で私の話しを聞くうちに、おそらくは私に「陰性転移」していたのではないかと、いまは思う。陰性転移というのは、先ほど述べた通り、カウンセラーがクライアントに対して性的だったり恋愛的だったする感情を抱いてしまうある種の症状である。彼のまわりには、そういった話題に事欠かないようであるが、ようするに常にそういう状態なのだろう。
 そこで私を支配しようと、沢山のデマをふりまき、不信に思った私がその真実を明らかにしたとき、「なぜ裏切った! なんで、なんで、なんで」という「精神分析モドキ」をおこなった。この「三回のなんで」は心理の手法だという。そしてそれが、普段記憶を解離させていきている私の焼けただれた部分にメスを入れることとなった。
 私は「私は根本的に男性不信があります。それはレイプされていたからで、それは親に愛されていなかったからです」という突然の内面の直面化に遭い、発狂していたらしい。現実のカウンセリングでは、「レイプされていた」「親に愛されていなかった」というところは、私自身の記憶があいまいなところもあって、カウンセラーも避けているところであった。
 記憶がどのようにあいまいかというと、これがまた非常に書きづらい。たとえばレイプ男性との行為は基本的には思い出せないが、事後に自死しようと思って太ももの動脈を切り刻み、バスタオル一枚が血に浸ったという映像ははっきりと思いだせる。親に愛されていなかったというところは、例えば母の顔が思いだせない。写真を何度見ても、数日後には「あの人がどんな顔だったかわからない」となってしまう。「防衛」という機能なのだそうだ。
 文章を書くという力を取り戻し、自信をつけ、その二点は思い出しても思いださなくてもいいように、少しずつ時間とその他の経験が柔らかい包帯のようになって、やけどをいやしながらかさぶたになって剥がれ落ちる手助けをするように、慎重に慎重にセッションを行っている最中の出来事だった。日中の抗不安薬は、心臓に負担にかかるものに変わった。
 それでも、それからもしばし、「こんな誠実でいい人が私に何かするなんて、私の方に原因があるはず」と連絡していたりした。
 カウンセラーもどきからクライアントもどき間の、セッションもどき内での、トラウマの反復であろう。あれからいままでにない症状がはじまって、現実生活での折り合いに苦慮している。
 脳の方は素直に恐怖を感じ、安定剤も抗うつ薬もぐんぐん増えて、ほとんどの連絡手段を断てたのが、「詩をめぐる冒険 閉ざされた可能性」のころか。
 やっと本当に「完全に恐怖し、怒り、絶対に関係を断ち切ろうと思った」のが、実は今日である。それまでにほとんどの通信手段・SNSも、ブロックしたものの、お付き合いがあった詩のDMチャットに彼の管理するツイッターアカウントがあったから。今日、さっき、最後の彼が管理しているツイッターアカウントをブロックできた。

 えっ、こんなに迸る文句があるのに、さっきまでほとんど更新はないとはいえ、最後のツイッターアカウントひとつとつながってた。なにしてんの、私。

 書いていて思う。
 友人からのDV被害とかって、本当にジワジワくる。そこにくわえて心理の手法が加わっているはずである。さらに、適切な医療機関にかかっている私も含め、「悩んでる女性詩人三人」がまるっとターゲット。仏の顔も三度までっていうじゃん。一瞬で三人、ってことはさ、もうないよ、仏の顔。

・秘密保持をできていないカウンセラー・PSW→現実の平川某氏
・なぜか、女性への支配が異常にある心理の手法を使える30代の男性詩人→平川綾真智氏

 どっちにしても、ダメだ。
 私がネットストーキングに「感じた」期間は一か月ではなく、もっと短い。しかし、DVなれしてるこの私が恐怖を感じたんだから、ほんとうに、彼は何かがおかしい。
 伝言ゲームみたいによくわかんなくなる前に、書かなければならないことを、書いた。

 fiorinaさんの「全部まとめて小説にしてしまいましょ! 修子ちゃんの身にはこれからもいろんなことが起こるだろうけど、ぜんぶネタだと思いましょ!」を聞いて「受け取ったとき」「スッキリ」「感じた」ので、これから私にかかわる人は全部私の小説のネタになります宣言もしておこう。

 質問がおありになりましたら、コメント欄にください。できるだけお返事します。ネタにもなります。

2019/5/17
平川氏は詩界と精神医学界にとって危険であると判断し記述する。

2019/5/18
10代の女性詩人よりこのままでいいという許可を頂く。一部、主治医とのやりとりを思い出しながら訂正する。もうひとりの女性詩人より連絡を待っている。

2019/5/22
状態が悪いためなかなか書けなかった。この状態でツイッター連携し、またも二次被害に遭うとさらに状態が悪化すると判断し、当面ツイッター連携は見合わせる。ふたりめの女性詩人さんより記事修正のご依頼をいただき、変更する。


散文(批評随筆小説等) 痴情のもつれじゃありません 平川某氏と私のあいだに起こったこと、あなたはわたしのネタになる宣言等 Copyright 田中修子 2019-05-17 17:50:40縦
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