リア充は詩が書けない
葉leaf

 リア充は詩が書けない。これは最近強く実感していることだ。正確に言うと、文章を書けなくはないが研ぎ澄まされた詩的表現を思いついている余裕がない。詩を書くために何よりも必要なのが孤独で静かな時間なのである。生活の雑事で心が揺れ動いている状態では研ぎ澄まされた詩が降ってこない。
 仕事のことで心がいっぱいいっぱいになり、その上家庭や恋愛のことでさらに脳が占拠されるようになると、もはやその人の心に詩が入り込む余地がほとんどなくなってしまう。突き詰めて言葉と対峙するという余裕がなくなり、それよりも仕事での目標とかパートナーの悩み事とか、そういうことの方が優先度が高くなる。そうして詩が書けないままあれよあれよという間に時間が過ぎていく。
 詩というものは、人生の小さなことや大きなことと真摯に向き合い、大事にいつくしみ、そのうえで脳をフル稼働して書くものなので、それだけの孤独で静かな時間を必要とする。孤独で静かな時間がほとんど持てないリア充にとって、詩はなかなか書くことのできない贅沢なものとなってしまうのだ。
 リア充は感受性が鈍るのではない。むしろ人生が濃密であり多種多様なことを感じている。だがそれを言葉として整理する余裕がないし、それらと丁寧に向き合っている孤独な時間が取れない。そのようなリア充にとって詩とは何であるか。そもそもリア充に詩なんて必要なのか。改めて問い直す必要がある。


散文(批評随筆小説等) リア充は詩が書けない Copyright 葉leaf 2019-05-17 05:36:42
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