家族は唐揚げ
石村


「家族は唐揚げ」
どこからともなく
湧いて出た
その一句
そのしゆんかんから
なにゆえか
俺の心を とらへて離さぬ

幾百万もの言葉があり
百の何乗だかの組合せがある中で
天使か悪魔のはからひか
かくも見事に生じたる
一期一会の この機縁 この一句
「家族は唐揚げ」

いい
じつにいい
なんともいへずいい
ふるひつきたくなるほど
いい一句ぢやないか

風韻がある
滋味妙味がある
俳味もある
豊かな陰影を宿しつつ
簡潔にして明快
かういふのをポエジイといふのだ
さうはおもはないか

いやしくも詩人たるもの
これを一篇の詩に物せずして
何を詩にするのか
これほど響く言葉
身に染み 胸に迫る言葉が
詩にならぬといふ法はない

そこで俺はこころみた
「家族は唐揚げ」を
一篇のみごとな詩と仕上げ
この不朽の一句が
未来永劫 人類の脳裏に
刻まれんことを期して

まづ俺は 心の中で
大鍋を火にかけ
いくたりかの家族に 唐揚げ粉をまぶし
180℃に熱した たつぷりの油で
からりと揚げてみた

うむ

どうもこいつは
あまり詩的な光景ではない やうだ

つまりこれは
文字通り字義通りの言葉ではない
叙事叙景ではだめなのだ

ならばこれはどうだ

「家族は唐揚げ
 ハサミはペンギン
 男は故郷
 女は海峡
 バハマは不況……」
それから
えー――――

違ふ
さうぢやない
言葉遊びではないのだ
「家族は唐揚げ」は
そんなうすつぺらな
上つつらな
響きだけの 調子がいいだけの
一句ではないのだ

ことによると俺は
宇宙の深奥 秘中の秘に迫る真実
神の一句を手にしてゐる 
かも知れないのだ

これを駄洒落や語呂合せの一部に
埋れさせてしまへば
末代までの恥辱とならう

しからばそれはメタフォアか
はたまたシンボルか
いづれにせよ何らかの観念を
表象するものか
否!
否、否、否、否!
「家族は唐揚げ」は
修辞ではない
アレゴリーではない
表現技法ではない
一個の存在そのものだ

無謬完全の意味観念を豊かに内包し
大銀河に悠然とひろがり
ありとあらゆる生物無生物の
原子核の核にまで浸潤する
普遍妥当性をば有する
美を超えた美
叡智を超えた叡智
フェルマーの定理もリーマン予想も
物の数ではない
それほどの真理の精髄が
この一句に
集約されてゐるのだ

だが
ああ!
俺にはこの一句を
詩に物するすべがない
どう足掻いても 書けはせぬ
アダムとイヴ以来の
プロメシュース以来の
この神秘の一句が内包する
宇宙の内奥に肉薄するには
わが詩魂はあまりに貧しく
思想は低く 着想乏しく
想像力に欠け
技量はあはれなまでに拙い
無念なるかな
遺憾なるかな 
痛憤痛惜の念に堪へずして
俺は唇を噛み 歯をきしらせ
血涙を呑んだ

ああ
天にまします神なる御方は
何ゆえに この妙なる一句を
わたしなぞに授け給ふたのか!

それでもやはり
家族は唐揚げ
かぞくはからあげ
カゾクハカラアゲ
kazokuwakaraage

いい
じつにいい

なんど反芻しても
いいものはいい

家族は唐揚げ
ああ なにゆえに
かくはわが心を悩ませる
この一句
家族は唐揚げ

家族は唐揚げ
家族は唐揚げ
もひとつ行かうか
家族は唐揚げ
さあ
皆さんも
どうぞ
ご一緒に

家族は唐揚げ



(二〇一八年四月八日)




自由詩 家族は唐揚げ Copyright 石村 2019-04-08 16:45:47
notebook Home 戻る