熟れないトマト
こたきひろし

家が裕福ではないのに子供はたくさんいて、末っ子は九馬君だった。
人間の産んだ子供に九馬って何だろう。名前の付け方酷くないかって、俺でなくても誰でも疑問に思うだろうが、所詮他所の家の事だから耳慣れてしまえば気にもならなくなっていた。
周辺は山あいの辺鄙な場所だった。中央を県道が一本貫いていて、それを中心に半分に分けると縦条の狭い地形は上と下に呼び名が付けられていた。
下側の山肌に沿って小さな川の流れがあり、辺りの田んぼに水が引かれていた。
県道の両側にある畑と田んぼからはけして豊穣の匂いは感じられなかった。山側に沿って点在していた家のほとんどは貧困の様相をあらわにしていた。
俺の家もその内の一軒。古くてやたらに風通しのいい藁葺きの農家だった。
僅かな農地を耕し、現金収入の無いに等しい生活はほとんどが自給自足だった。
俺の家は八人家族だった。祖母と両親、そして五人の子供らがいた。
俺が生まれたのは千九百五十五年の二月だった。終戦から十年近くが立っていた。昭和三十年代、俺は子供だったが、俺の生家の周辺には東京から戦争疎開してきていた家族がまだいたのだ。
俺は五人の子供の末っ子だった。九馬君とは同い年だったから同じ年に小学校にあがった。
俺の記憶に誤りがなければ九馬君の家は疎開してきていた家だったと思う。
大家族が遠い親戚を頼り、土地を借りて掘っ立て小屋のような家を自力で作り身を寄せ合うように生活していた。
そんな現実が俺の子供時代にはあったのだ。
俺の家もたしかに貧しかったが、九馬君の所はレベルが一段も二段も上だった。
よくぞあの酷い時代を生き抜いていられたと、人間の生命力の強さに驚くばかりだ。

九馬君の家の庭に、我が家の畑には夏はトマトが実をつけたがいつも青い内に、紅く熟れて美味しくなる前にはもぎ取られてしまった。
トマトは仕方なく夕暮れの真っ赤な太陽の光に染め上げられて紅くなるしかなかった。
と、俺は記憶している。


自由詩 熟れないトマト Copyright こたきひろし 2019-03-31 09:08:34
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