箱のこと
はるな


箱がたくさんある。
現実にも想像上にも、自分のものも、むすめのものも夫のものも。怠惰な感じのする春の日差しの真中にわたしのそれを置いて、みる。日差しは多くの物事を明らかにする(もし私達がそれを望めば)。わたしは頭の中の箱たちの蓋を開けて検分する、自分から箱のなかに入れたもの、はからずも仕舞われてしまったもの、仕舞ったはずがどの箱へ行ったかわからなくなったもの
。なくなってしまった物物よりも、箱の外側にあるもののほうが問題だ。(つまり問題はわたしの頭のなかにあるということになる)、箱は、たくさんある。

そしてわたしの外側には(つまり世界にはということだけど)、また春が来た。きちんとした春だ。さまざまな種類の「発表会」、赤や桃色や白や銀のおべべでかわいくて素敵。風のにおいはちゃんと変わるし、花の種類も増えてきて、いじらしく染められたスイトピーを店に並べる。会いたいひとに会わないことにも慣れてしまった。
ちいさな水槽のなかの金魚がどんどん大きくなる。

むすめのなかの「文字」が「言葉」になっていく過程も楽しい。
ねえギューニューはウシからつくられてるんだよね、チキューはウチューにフクマレるんでしょ、おそとってなにでつくられてんの?
ねえねえママかみさまにおねがいしたらかなえてくれるんだよ知ってたあ?しらないの、だからはなこーやってねるときほらこーやっておいのりしてるんだよ。へえなんてお願いしてるの?やさしーいゆめみれますようにって。ねーママのぶんもやってあげるよみててみてて、ままもやさしーいゆめみれますようにハイこれでもーだいじょーぶっ
むすめはわたしにとってやさしーい現実だから、一人だとかんたんに箱の中に戻ってしまう。開けては閉め閉じては開けて、雑に扱ってきた自分を自分で撫でてもざらざらささくれていくから、でも、それ以外にできない。傷つかないと決めたはずだったそしてそれは簡単なことだったはずだし、すべての扉を開け放していくんだと、それも決めたはずだった。
箱の中身はすぐそこにあって手触りもわかるのに、きちんと過去になってしまった。傷つくべきときにきちんと傷つかないと、ぼんやりとした自我になってしまう。そしてそれはほんとうに格好悪いのだ。
そういうわたしが、いま母親になって、むすめに甘えながらワアワア泣いている、むすめにはわたしにならないで欲しいと強く望むのは、そんなことありえないっていう簡単なことを理解していないからだ。
なんかいも同じところからはじまる。灰色の部屋、夢のなかの保健室、箱だらけの中身、こんどは転んだぶんだけちゃんと傷ついていく。



散文(批評随筆小説等) 箱のこと Copyright はるな 2019-03-14 20:05:25
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