詩をめぐる冒険◆閉ざされた可能性 追記あり
田中修子

「ちょっぴりゼツメツ寸前の詩をめぐる冒険◆詩をへだてるベルリンの壁」https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=339862&filter=usr&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D11348
に対する追記を書いていたのだが、追記のほうが長くなってしまったので、一記事とする。

 三年ほどまえから現代詩フォーラムで詩を書きはじめ、狭い世界ではあるが、自分なりに現代詩というものを冒険した。

 私は室生犀星など近代詩の詩人と、詩誌「詩とメルヘン」しか知らず、「詩と思想」「現代詩手帖」の存在すら知らなかった。ましてやネット詩に触れたのもはじめてで、興奮状態にあったようだ。
 その状態で書いた自分なりの旅日記について、訂正しなければならないことがある。
 
 ■そこで、文学極道という詩サイト(スルースキルや、かなりの遊び心がためされる)が、「文極ツイキャス」というこれは司会のかたの采配がしっかりしているので安心できる番組を開催されていて、それを聴いたり、一回参加してみて、これもなかなかオモチロイものであるな、という感じがしました。

 この一文である。
 
 2018年の秋ごろ、文学極道のサイトの代表とスタッフの方が、大分でひらかれた国民文化祭に招かれた。
 そのスタッフのかたは、現地での扱いのされかたが気に入らなかったらしく、帰ってからツイッター上で現地スタッフの方を罵っていた。
 もちろん現地スタッフのやり方が気に入らなかったのであれば、抗議してよい。その場合は電話などですませるべき内容であるが、百歩譲ってツイッターで目に見えるやり取りでしてよかったかもしれない。(ただ、ふつうの会社員ですら、内々のトラブルをツイッターで発信・やりとりすることは考えられないだろう。)
 しかしそのスタッフのかたは、抗議と罵りの区別もつかないようであった。少なくともそのツイッター上でそのスタッフの罵りを代表の方や他スタッフの方が止めている様子も見えなかった。

 結果、現地スタッフの代表の方がすべての責任をとって辞任され、騒ぎはおさまった。
 代表の辞任によってすべての騒ぎがおさまったのは本当に見事で、ハンディキャップのある身で十二分に責を果たされた。
 しかし、近年珍しくテレビ放映されていたこともある彼女が代表を辞任されることになったのは、現代詩人界すべてにとっての損失だった。

 かつてセクハラ・宗教の勧誘コメントが放置されていた掲示板は、老齢の声の一人物から大分側に向けて「脅迫」があったため、その「脅迫」後には非常に使いやすいサイトになった。
 一般ユーザーの私から見てセクハラ・宗教の勧誘コメントの放置がなおってしまったという実感があるのだから、脅迫という面だけでなく、改善のキッカケとも明らかになっているのだが、代表やスタッフのかたにはその老齢の声の人物が起こした行動が、やはりいまだ脅迫としかうつっておらず、自分は迷惑な人に巻き込まれた可哀相な被害者で、恥ずべきところなど一点もないと思っていらっしゃるのだろうか。
 国民文化祭に招致されたということは、国民の税金から支払われるギャラも発生しただろうし、それ以上に「国に招待された現代詩人」と、これ以上ない広告の機会だった。
 とうてい、個人では出せない広告費を、彼らは自身でふいにしたことになる。(あれだけの損害を出した彼らが、これかも継続的に公の場に出ることがあるようであれば、それだけ現代詩人界の人材が払底しているということであり、それはそれでまたなんとも残念なことである。)
 国民文化祭への出演が決まった時点で、善意のボランティアが運営する無料サイトではなく、実際に手元にはいるギャラは少数としても、目にみえない広告費をふくめれば、はかりしれない利益と可能性が発生するサイトになっていたのだが、そういった今後の発展の可能性が閉ざされてしまったように見える。

 そのように、あまりにも残念な過程があったために、文学極道のサイトもツイキャスも以前のように安易にはお勧めできなくなった。
  
 そういう経緯もあって私自身、文学極道のツイキャスは聞きもしないし、作品投稿もやめた。

 ただ、私には見えないところにいらっしゃったスタッフの方が、あの騒ぎの前後に、掲示板の作品に対して丁寧な選評を出されるようになった。掲示板にもいまだ、まじめで熱心なユーザーもいる。おそらくはラウドスピーカーが目立つだけで、しずかにサイト運営をされている方々もたくさんいらっしゃるのだろう。
 ああいった選評を参考にしてユーザーが互いに批評をしあうようになったら、また、サイトがよいほうに変化するかもしれない。

 詩は書くのも読むのもやっぱり好きだが、しかし、自分もふくめ、詩人とはいったいなんだろう。もちろん、個人的にお会いして楽しかったり、やはり尊敬している詩人さんもいる。
 けれどそれ以上に、ほんとに、詩なんて書かない方がいいし、詩人なんていないほうがいいのかもしれないのかもなあ、とも、立ち止まって考えさせられた。

 見ていて、責めるだけのことは簡単だ。
 私も自分なりにできることをしていく。
 いつかすべてのことが、現代詩の発展に結び付けばいい。

 冒険が終わるとき、この出来事もなつかしい想い出になるのだろうか。

 ※2019年2月11日 追記
 昨夜、文学極道スタッフ芦野夕狩さんとお話をさせていただいた。芦野さんが特に不本意に思われたのは、私の散文内にある『かつてセクハラ・宗教の勧誘コメントが放置されていた掲示板は、老齢の声の一人物から大分側に向けて「脅迫」があったため、その「脅迫」後には非常に使いやすいサイトになった。』という点であった。

 じつはそれ以前からサイトの整備は進んでおり、脅迫後に突如整備が進んだのではない、ということを丁寧に説明してくださった。
 当時の打ち合わせ画面も、非スタッフ側に見せられるギリギリのところまで開示してくださり、また、「田中さんの目には突如使いやすくなったように見えるのもその通りだと思う」、という私の視点も尊重してくださった。
 ですので、追記の追記にて、以前からサイト整備が進んでいた、ということを付けさせていただく。

 また、追記があったりして。どこまでも果てしなく続く追記。

 それから、芦野さんからも、私を含むグループで文学極道への攻撃をはじめたように見えていたとのことだった。私からの、けっして全員で示し合わせてはいないという意見も信じてくださった。
 現代詩フォーラムのアカウントや、ツイッターアカウントも持っていらっしゃらないスタッフの方がお疲れになっていて、やむにやまれぬ気持から「文学極道批判(twitterコピペ」https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=345033&filter=cat&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D5
を書かれたとのこと。いま、〇〇という表記になっているところは、私も含むグループだと思われていた方々のお名前で、昨夜芦野さんの側でも誤解が溶けたので、消されたのではないかと思っている。

 自分の文章内でも「ただ、私には見えないところにいらっしゃったスタッフの方が、あの騒ぎの前後に、掲示板の作品に対して丁寧な選評を出されるようになった。しずかにサイト運営をされている方々もたくさんいらっしゃるのだろう。
 ああいった選評を参考にしてユーザーが互いに批評をしあうようになったら、また、サイトがよいほうに変化するかもしれない。」とも書いていたが、書き方が足りなかった。裏方のスタッフで全く名前も出さず、本当になんの見返りもなく運営に携わっていらっしゃる方を傷付けた。その方々から見た場合には、現代詩フォーラムによく投稿している私もまた「名前のよく見える強い人がなんか安全圏からヤイヤイ野次を飛ばしている」になっていたんだろうな~……と、話し合いの中でいまさら気づかされた。

 大分の件は、ネット詩以外の人もまきこんだあまりにも印象的な出来事だったのでここに書いたが、私はもし今後文学極道に対して意見がある場合は、芦野さんに相談させていただくか、文学極道のフォーラムにトピックを作ることとする。私自身はもう、ユーザーではないから、そういうこともないと思うんだけど。ちなみに芦野さんの選評文はとても丁寧で、選評文を読むだけでワクワクする。

 私はこういう、ネット詩にどっぷり浸かって、あれは某さんであれは某さんではないか、あそこらへんがかたまってどこどこを攻撃してるんじゃないか……みたいになっちゃう現象を「ネット詩神経症」と名付けていたのだけど、いつのまにか自分もどっぷり罹患者になっていた。これはいかん。
 「詩をめぐる冒険」では、詩人さんの面白かった・素敵だった点や自分の詩の学びを書くこと、それからふっと浮かんだ詩を現代詩フォーラムに投稿させていただくこと以外には、しばらくリアルでちょこちょこやってみます。
 また、追記が、長い。


散文(批評随筆小説等) 詩をめぐる冒険◆閉ざされた可能性 追記あり Copyright 田中修子 2019-01-06 08:55:14縦
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