シェルター
汐見ハル

春のぬるい風をどうしても愛せない。
凍てついた枯れ枝の尖った輪郭を
冴えた静寂の中を立つ潔癖な冬木立を
ただ耐える以外には何もしないですむ季節を
ぼくは心底愛していたので
ふくらみはじめたつぼみは醜悪で、いびつで、
どうしようもなく吐き気をおぼえる。
いつものように授業を脱け出して
屋上に寝転んでいた。
グレイの空はたしかに昨日の続きだったけど
でもどこかがちがっていて、
透明で見えない部分まで
輪郭がほどけていったのが
なんとはなしにわかってしまって
砂まじりの突風に髪をおさえる彼女に、

死にたいんだ

思いつきでつぶやいたら、

それはつまり
眠っていたいということ?

隣に寝転ぶ彼女は無表情のまま
焦げ茶色の瞳でささやいた。
それから、

それはたとえば、
食い散らかして
食べ残してしまったゆめ、を
冷蔵庫のなかに
放り込む、みたいに。

うん、そうだ
ってぼくは答えた。

シェルター。
固い殻に預けて、腐りきる前に、はやく。

うっとりと、目を、細める。
(ひかりみたいなまつげ)

風。ぬくもりというよりは生ぬるい。

花の香りがする
と、彼女。

きっと沈丁花の。雨の先触れなんだって。

ふうん。

ばかだね。

うん。

かんたんに、うん、だなんて、いうもんじゃないよ。

うん、でも。

ねえ、死んだらひとは、どこにいくのか知ってる?

あの世?

うん、あの世って
河の向こうにあるんだって。
ひとは死ぬとき、舟に乗ってその河を渡るというけど、
でもあたしはそうじゃないと思う。
歩いて渡るんだ。
剣みたいな激しい流れにずたずたになりながら
苦い水をたらふく飲んで
それでもなお、渡らなければいけない。
振り返っても、もといた岸だけが見えなくなっていて、
まるで大海原に放り込まれたみたいにひとりぼっちで
向こう岸だけがはっきりと見えるの。
だからそこを目指すしかない。
河底の砂利を擦る水の音に紛れて
なつかしい人のすすり泣く声が聞こえても、
もう、もどれないのよ。

なぜ、そう思うの。

尋ねたら彼女はゆっくりと起き上がり、
かすかに首を傾けて、

だってあたしの父さんは
そうやって死んでいったから。
あたしが七つのときだった。

風。
砂粒がまぶたに混ざりこんで、

最期まで自分の病名を知らされず、
三度めの入院で、意識が濁っていくまでの間
半分になった胃袋で
わらいながらあたしの作ったプリンを飲み込んだり
かさついて、黄色くなったゆびで
髪を漉いてくれたり。

うん。

泣かないで。
感傷ならまっぴら。

うん。

あたし、愛されてたよ。

うん。

毛布、みたいに。
くるまれて。

寝転ぶぼくはこぶしで両眼を押さえる。
膝を立てた姿勢でぼくの顔を覗き込む彼女、
一瞬、髪の毛ひとすじ
ぼくの頬を撫ぜて
それがくすぐったくて笑おうかと思ったけれど

ねえ、行こう。
一緒に。

少しなら、待っていてあげるから。


自由詩 シェルター Copyright 汐見ハル 2005-03-15 00:14:04
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