自らの管理できる幅の中で
水菜

私は、私たちは、自らの受容を広げたり、狭めたり、出来るものだと思う。
けれど、最近、私が気付いたのは、必要なもののみで固めれば息がしやすいということ、そして、自らの管理できる幅で、範囲で、固めるからこそ、そこに責任感も生まれるということ。

たとえば、恋人のバースデーやクリスマスプレゼントを買うお金が無いけれど、なんとか渡したい(大事だから)自らの出来る範囲で、食費を切り詰めたり、節約したりして、プレゼントを買う、なんて、その典型だと思う。

私は、聖人君子ではないし、仕事ではなく、プライベートであるなら、時には、素直に怒りを表に出すことも必要だと思う。

もう、無理はしない。

私は、普通の人だ。

失敗もするし、怒りも感じる。赦せないこともあるし、それによって断絶が必要になるなら、それを行う。

それは、相手方の為にもなると私は、知っている。

真剣に怒ってくれる方、潔く断絶してくれる方の有り難さもまた、私は、知っている。

なんでも同じだ。
なにかを掬い取り、なにかを受容すれば、
別のなにかを失う。

けれど、リスクが無い選択は存在しないし、
なにかを決める時大切なのは、
中途半端が一番駄目だということ。

クリスマスイブでもあるし、これは、少し気の早いサンタさんからのプレゼントかもしれない。

私は、今、自分の管理できる幅を見極める練習をしている。
それは、その過程も含めて、私にとって大切なことだと確信しているからこそ、そう思う。


自由詩 自らの管理できる幅の中で Copyright 水菜 2016-12-24 02:32:09
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