木槿
あおい満月
気がつくと、
一面真っ白な部屋のなかにいる。
部屋には窓一つない。
空気がこもっている。
部屋中に白い音がする。
天井に向かって手を伸ばすと、
目には見えない皮膜に触れる。
シャボン玉の透明な壁に似たそれは、
指圧になってぐいぐい背中を押してくる
五感が塞がっていく。
意識だけが一本の糸になって、
現実を繋いでいる。
*
誰かの声が響く。
女性の声だ。
私には母親の声だとすぐにわかる。
(あんたになんて、なんにもないわ)
(詩の話はしないでちょうだい。
仕事の話もね。私は嫌だから。嫌いなの)
電話を勢いよく切るように、
母親は突きつけてくる。
何故、それほどまでに、
私の世界と自分の世界を、
断ち切ろうとするのか。
あなたに理解をされない人生ほど、
寂しくてやりきれないものはないのに。
声はどんどん大きくなる。
私は鼓膜に痛みを感じて、
耳を塞ぎながら叫ぶ。
(助けて!)
**
(どうかなさいましたか)
振り返ると、
白い扉が開いて、
白い服を着た看護師さんのような
女性が現れた。
手には一輪のカーネーションによく似た
花が入った小瓶を持っている。
(あなたは誰ですか)
彼女は微笑むだけで、
何も答えない。
(もうすぐ夜になります。
この花に願いを込めながら、
この水をあげてください)
そういって彼女は私に、
状差しを差し出す。
(どういう意味ですか)
私の問いに彼女はまた微笑んで、
(あなたが本当に見たいものを
見ることができますよ)
状差しを私に手渡すと、
彼女は忽然と消えた。
***
私はその花に、
じわじわと沸き上がる念のような、
願いのようなよくわからない感情で
水をあげはじめた。
一番頭から離れなかったのは、
母親のことだった。
状差しのなかの水が空になった。
するとどうだろう、
花がまばゆい金色に輝いて、
白い部屋が見えなくなった。
私は暫く踞った。
バリッと硝子が割れる音がして、
恐る恐る目を開けると、
カーネーションだった花が、
一本の木になって、
風のない部屋で凪いでいた。
赤い葉に煌めきながら、
何かが映し出されている。
(がんばってね、いってらっしゃい)
(帰りに珈琲を買ってきてね)
にこにこしている母親の姿だった。
お母さん、
私の頬を熱いものが伝い流れた。
すると大樹の赤い葉から、
金色の滴が雨になり降ってきて、
私は金の海に溶けるように満たされた。
****
(どうしたの?もう時間よ)
聞き覚えのある声に我に返り、
気がつくと私は空の器を前にして、
呆然としていた。
慌てて支度をし、
外へ出る。
秋晴れの朝は少し寂しい。
冬に近づくにつれて、
寂しさは増すのだろうか。
うすら寒い風のなかで、
木槿の花が揺れていた。
あなたの微笑みに少し似ている。