辺境の地の精霊たち
るるりら

先日 ひょんなことから ひさしぶりに無人島に行くこととなった。
それは何年のか前に二度ほど 山里に暮らしている子供たちに海で自給自足体験をさせてあげようという企画に参加したことがあり、そのご縁で ふたたび 島に行くこととなったのだ。

トイレの場所を自分たちで 石や木をくみあわせてつくったり、火をおこしたり、蚊帳でテントのようなものをつくって寝室スペースを確保したり。 こどもたちは 通っている学校も地域も違う。自然と もってきた若干の必要不可欠な物と 海の向こうからながれてきたゴミ以外は なにもないところで、お互いが協力しあい 生活をする。

海岸に到着するやいなや、海のモズクを すくって食べる
うみうし、あわび、うに、海蛍、ほたるいか、うすばかげろう(うすばか げろう ではない)、たこ、それから 精霊。

そう精霊。わたしは、なにかに呼ばれている気がしていた。
無人島に行くことを誘われて嬉しすぎたので、精霊だなんて言っているんじゃない。
無人島に行く前に カープの応援にいったら、大勝利だったから 言っているんじゃない。
無人島に行くための準備のために、どうしてもタクシーが必要だけど、ど田舎だから無理だろうとおもっていたら
なぜか自宅の前に横付けのようにタクシーが止まったから 言っているんじゃない。
無人島の三日間が とても良い天気で、害虫も少なかったから 言っているんじゃない。
無人島のその日は新月だったから 言っているんじゃない。

無人島で日が落ちたあと、足元の波間に 夜光虫が光るのを楽しみながら海辺を歩いていたら
陸と海の境あたりに 水平移動する白いなにかを見た。それは、犬などの大型動物よりも大きかった。
陸上動物ではなかった。スピード感が ふわりとしていつつ しかも 速い移動速度だった。あれは、なんだったんだろうか。無人島に慣れている男性スタッフのひとりが、「あんなのみたことない。こわい。帰ろう」と言った。朝がきて、ふしぎななにかの居た場所に 白い鳥を見たので 昨夜のアレは 鳥だったのだろうということになった。

わたしたちが見たものが鳥だったとしよう。だとしても、人工物のまったくない状況で鳥に出会った人は、まず身が すくむ。そして、すくなくとも わたしの場合は 精霊を思った。
そういえば、自然とともに生きているアイヌ人々の伝承物語にも鳥の話は多い。夜に見かける鳥に精霊のようななにかを感じるのは 私だけではないようだ。

アイヌ民族の伝統的な世界観では、カムイは動植物や自然現象、あるいは人工物など、 あらゆるものにカムイが宿っているとされて、夜活動する鳥のひとつである ふくろうの場合は、天地創造に関係していると伝えられているらしい。 

また、イギリスの ウェールズ(もともと彼らの住んでいた場所にほかの土地の者が入り、かれらは独自の言葉や文化をもっているが、英語ではウェールズとは よそ者の意味があるようです。なんだかアイヌとアイヌ以外の日本の話と似ているな。ウェールズの呼び名は蔑称であるため ウェールズの人々は自分たちのことをカムイというらしい。)

そのウェールズに 伝わるフクロウの場合は、 
のちに権力者となる男に関係する逸話があるようだ。
ざっくり お話すると 彼の元恋人は、人間ではなく 花でした。女は もともと三つの種類の花を魔法で合成してできた存在であり もともとは人間ではなかったが、人となり、権力者の恋人としてあてがわれたが、浮気をした。
その浮気男が 権力者となるような男が恋愛に邪魔なので殺害してしまった。
しかし、殺された お坊ちゃんは、彼の魔法使いのおじさんたちの力で 再生し人間となる。そして、一度は殺された恨みをはらすために、間男を殺し、花から変化した人間であった彼女は、フクロウと かえられてしまったので、太陽をみることも ないまま うちまれつつ生きるという、あわれな生き物となったという話があるようだ。(ウェールズの この話を知るきっかけをくださった某詩人さん、どうも ありがとう。)

たしかに夜の鳥とは、なにかを思わるムードがある。
夜見る生き物に、人は 非人間でありながら人格を持つなにかを感じるものなのかもしれない。
人間でないものが人間のような存在になる話は、自然との融合願望があると私は思う。
たとえ、それが恨みつらみの話だとしても 人はその話に癒しを感じてきたのじゃないかと私は思う。
たとえば、わたしの生まれ故郷に変容する蟹の話がある。平家蟹の平家の兵士たちが 源氏に対する恨みからカニに変化したという話だ。


人は 時折、ほかの生き物が人になったとか、ほかの生き物に変化したという伝承を 遺す。
わたしも、こどものころ 変化が ほんとうだろうと信じていたことがある。
下関に伝わる 人が蟹に変幻するなんて
考えても怪しい。 源平合戦より ずっと前から カブトガニはいたはずだからね。ほんとうにそうだと思うのは こどもは信じていた。

人々は かつて人だったと伝わる生き物に特別な思いを寄せてきた。
人が変化する話には、人々の悲しい出来事に対する癒しと祈りがあると わたしは思うのです。
平家蟹の話は、平家になんらかのつながりのある人々だったと思うのです。
見ることのできなくなった存在とも ともに
存在したいう願望や、なにかしらの よるべない心を昇華しようとした思いや、自然に対する畏敬の念があると、思うのです。
そして、わたしは 精霊に呼ばれたのです。それは 事実だと思ってます。



散文(批評随筆小説等) 辺境の地の精霊たち Copyright るるりら 2016-08-04 10:33:44
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