メキシコ
天才詩人

涙がこぼれた。午前7時まえだった。レフォルマ通りを過ぎたところにある、緑の木々に囲まれた小さな公園を出て、教会前の、溝に空のペットボトルや食べ物 のかすが投棄された下水管の匂いのする路地を、歩いていた。前方にはガラス張りの高層ビル群が林立するのが見え、老婆やOLが眩しそうにかわいた朝日を浴 びながら、地下鉄のエントランスへ早足で向かっている、そんな風景のなかだった。俺は美術館のアシスタントとしてこの国に来て、自分の収入に不相応な、ブ ティックホテルに泊まっていた。毎日市内の各所にある美術家のスタジオを訪問し、朝から晩まで、スペイン語のできないアメリカ人の上司の通訳をした。ほとんど休む間もない時間が続くなか、ある朝、ホテルを抜け出した。涙が出たのは、そんな朝だった。この国にはじめて来たのは、15年ほど前、22歳のときだっ た。ロスアンゼルスからの深夜便で、早朝の空港に降り立ち、英語がまったく通じないことに困惑し、仕方がなく、うろ覚えのスペイン語の数字を使って、タク シーの運転手と値段交渉をした。曇り空にすっぽりおおわれた、首都圏の高層ビル群を遠くにのぞむ広いハイウェイを飛ばして、歴史的中心地区にある、安宿に向かう。古い診療所を改装した、冷たいコンクリートの廊下に、高い天井の部屋がならぶ宿。部屋まで案内してくれた 褐色の肌の少女は、スペイン語のわからない俺に、朝食があることを伝えようと思ったのか、俺の目を見て一言、”pan?”と言った。俺は、そのpan = パン(西語)という、少女が発した言葉の、鮮明な響きを、いまでも忘れることができない。ロスアンゼルスでは、通りを行く人々の話す言葉がほとんどわから なかった。(そもそもリトルトーキョーのさびれた倉庫街では、道を歩いているのは、打ち捨てられたスーパーのカートに家財道具を積んだ、ホームレスくらい のものだった。)スペイン語は日本語と同じく母音が五つしかない言葉で、発音がよく似ていることくらいの知識はあった。だが、初めての国で右も左もわから ない状態でいたとき、その少女の発した「パン」という単語があまりにストレートに自分の耳に届いたことに、驚いた。そうだ、「パン」が食べたい、いや、食 べることができるのだ。暗く長い廊下の、突きあたりの開け放たれた窓から、くもり空の日がこぼれるのが見える。この国では、もう何年ものあいだ、小さな家屋で扉 に板を打ちつけてきた俺の身体は、やっと人々や町の動きと相似形をなし、手に触れることのできる「かたち」を持つだろう。そのことを直感したのは、この日 の朝の、少女とのたった一言のやりとりを通してだった。たぶん人は、このような体験を「原点」と呼ぶのだと思う。それから15年目の、はじめてこの町に着 いた日と同じ時刻、かわいた高地のスモッグにおおわれた首都中心部の歩道を、俺は、鬱々とした2o代の青年だった過去の自分に「パン」を食べるかどうかを 聞いてくれた、あの少女と似た容姿の人々にかこまれて歩いていた。そのなかの誰を知っているわけではなく、言葉を交わすこともない。たが、俺はそのとき、 自分の「原点」のすぐ間近におり、それまで決して出ることができなかった小さな家屋と、それを囲む電熱線の走る高い壁が、誰もいない午前の湿ったコンク リートのように、静けさにつつまれるのを感じていた。そして、その家屋の向こうには、このさき、テーブルをはさんで対面し、一緒に「パン」を食べるであろ うたくさんの人々や、俺が彼らに向けて発音するであろう単語の数々。そして俺の身体が相似形をなす、曇り空におおわれた路地や街角が、ガラス瓶の底の風景 のように見えている気がしていた。


自由詩 メキシコ Copyright 天才詩人 2016-07-28 06:37:25
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