七月の忘れ物
たま

ベランダを覆いつくすケヤキの枝に
キジバトの巣がある
朝六時
キジバトの鳴き声で眼が醒める

ジュウイチジニキテクダサイ
ジュウイチジニキテクダサイ

十一時に?
どこへ?

夢の出口で
キジバトはたしかにそういった

梅雨が空けた
雨はもう降らない
乾ききった十一時の畑に立って
わたしは如雨露を探しつづけている
たっぷり六リットルの井戸水を呑みこんだ如雨露を
わたしはどこかに置き忘れたのだ
くったり萎れてしまったサツマイモやスイカの蔓を手繰り寄せて
わたしは如雨露の行方を模索する

産卵の翌日
キジバトのオスは巣に突っ立ったまま
たった一個の卵を抱こうとはしなかった
どうしたの?
死んじゃうよ その卵
雨の日も
途方に暮れた顔をして
抱こうとはしなかった

忘れることは生きることだという
忘れなければ生きることはできないということだろうか
それとも
忘れなければ死ぬこともできないということだろうか

三日目の朝
キジバトはようやく卵を抱き始めた
だいじょうぶ?
無事に生まれるの?
雨はもう降らないけど

午前十一時の夏日の下で
わたしは生きて忘れ物を探している
いつものように
井戸水を如雨露に注いだのはいつの日だったか
早く見つけなければ
わたしの野菜たちが死んでしまう

手繰り寄せた蔓の先に
まっ黒に日焼けしたスイカがあった
六リットルの井戸水を呑みこんでずしりと重い

ああ、おまえだったのか

忘れ物は姿かたちを変えて
十一時の畑で
わたしを探していたのだろうか
二週間後
ヒナは無事に誕生した














自由詩 七月の忘れ物 Copyright たま 2016-07-24 13:08:03
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