夜を千切り、張り付ける、呆然とした画用紙の上に。
ホロウ・シカエルボク


首を幾度か右に左に旋回させて通電を試みるも、精神はどこか奥深くへ潜り込んでいた、日付変更線を少し過ぎたあたり、床に突き立った一本の小枝だった、これはなにかの目印だろうか、それともどこかから投げ出されて、ただここにあるだけのものか?答えなどどちらでもよかった、思考が可能かどうか確かめただけ、ただそれだけ


首筋に溜まった汗を拭うと今日が鱗のように剥がれ落ちて行方不明になる、きっと果てしなく時間が過ぎた後に干からびて見つかるだろう、真実なんてたいていそういう形でしか認識出来ないとしたものだ、隣の空地におかしな鳴き方をする子猫が数日前からずっと居て、窓辺に居る限りそいつのことを気にする羽目になる、おおかた酔っ払いにちょっかいを出して、蹴飛ばされて喉でも痛めたのだろう、傷は癒えるかもしれないがあの鳴き声はもとには戻らないのかもしれないというくらいの予感を秘めている


幾度も水を飲み、いくつかの飴を舐めた、飽きてしまった頃にすべては始まる、渇きは、穏やかな時間にこそ始まる、渇きは、終始なにかを囁き続けている、確かに言葉を話しているのに、それはなにひとつまともな意味を持って聞こえることはない、耳を澄ますこともいつしかやめてしまった、知る必要のないことなどこの世界にはごまんとある、取捨選択が出来なければ認識にもボロが出る―海岸で貝殻をひとつだけ掘り出して、「この海には○○貝が居る」と言ったところでそれは取るに足らない真実に過ぎない、一円玉や、十円玉の価値と同じようなものだ


時間の流れ方はほかのどんなものとも違う、水とも、風とも、雨とも、それには抑揚がないし、刻みがない、だから二十四時間というものには不自然さしか感じない、今日が三十時間あって、明日が十八時間でも別に構わない…判りやすく例えるとすれば、だ―約束を別にすれば、文字盤になどなんの意味もない、あらかじめ定められたしきたりを受け入れたうえで、それの逆を取って見せるだけなんて陳腐に過ぎる、時間などないと言っているのではない、それはただの時間であればいいと言っているんだ


ひび割れてしまった小皿を窓辺に飾る癖がついた、それらは太陽と埃だけを乗せてじっとしている、でもなにか、ほっとしているように見えることもある、考えようによっては、皿というのは汚れ仕事だ、毎日毎日食いものや調味料を乗せられて、時には全部を食われることもなく、中途半端な重さを抱えて台所で処理され、いろいろな匂いのする洗剤で洗われ、時には落下して命を失うこともある―しいて言うなら窓辺に居るこいつらは退役軍人のようなものだ、彼らはいつでも戦いの中にいた、厳しく、頻繁に起こる逃げられない戦いの中に


いつだったか、使われなくなった親族の墓に、車に頸を引きつぶされた飼犬を埋葬しに行ったことがある、母親に連れられて、鬱蒼と木々の生い茂る山道を登って行った、しばらくの間…薄暗がりの中に、それほど広くない区切られた箇所があって、そこがお別れの場所だった、ごみ用のビニール袋に包まれて、あいつは土の中に消えて行った、賢いヤツだったのに、きっと車が速過ぎたのだろう、こんな風に思い出すのは初めてのことかもしれない、あれは小学校五年生くらいのことだっただろうか


木々の生い茂った、使われていない墓地、そこに眠る骨…それはまるで違うなにかを連想させた、それは例によって言語化されなかった、だけどおぼろげにその意味は…


眠ることが上手くない、子供のころからずっとだ、眠りはいつもなにかに妨げられる、陰鬱な夢だったり、天井裏を鼠が駆ける音だったり…だから眠りというのはそういうものだと思うようになった、そうするとそれはそれでいいというところに落ち着いた、それからはずっと、夜はこうしてとりとめのないことに思いを馳せる時間になった、そんなに悪くはないものだ


分断される眠りの中で見る夢はいくつもある、目覚めたときどれが現実なのかを即座に判断出来ないくらいに―でもそれは大したことじゃない、現実だってたまたま放り込まれた世界に過ぎないのだ、いくつもの独り言を残す、そこでなら少なくとも通り過ぎた真実に出会うことは出来るから。


自由詩 夜を千切り、張り付ける、呆然とした画用紙の上に。 Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-07-18 01:06:05
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