僕は死に始めた
ホロウ・シカエルボク


僕は死に始めた、見慣れた部屋の中で
僕は死に始めた、変わりない日常の中で
僕は死に始めた、まだ果たせぬ思いのまま
僕は死に始めた、いびつな過去を抱いて


石灰色の目覚めがこめかみを締め付ける
落ちて溶けた絵具のような空気が
沸点の低い液体のように燻っている
弛緩し尽くした肉体に火を入れて
湿気に具現した夢を吸った寝床から立ち上がる


ロック・ミュージックの残響、グラステーブルの水垢の上に
プログラムされたスネアのリズム、鼓膜に微細な穴を空け続ける
あちこち欠落した三半規管が受信する信号は
誰かを殺戮するには申し分のない羅列
窓を開けるころには武器を手に入れてる


地獄の門の上であの男が考えていたことには
きっとそんなニュアンスが込められているはずだ
だってあいつはそんなところまでわざわざ出向いて行っちまったんだから
行動の後の思考にはほとんど意味はない
そこに来た時点でそいつはもうほとんど決定している
面倒くさそうに折り曲げた膝は
その時に対応するためにじっとしているのさ


突然に、不気味なくらい、暑い春の日が来て
隣の島ではマグニチュードが更新され続けている
だからなんだ、災害で死んだ連中は
人知れず死んだ者たちよりも尊いのか?
とっつき易い不幸や愛が重宝されている
誰かがどこかからぶら下げてくる情報に
拾うべきものなんかもうほとんどない


僕は死に始めた、遮光カーテン越しに照りつける太陽の光の中で
僕は死に始めた、遠くから遠くから聞こえてくるもう歌えなくなった誰かのメロディーの中で
僕は死に始めた、餓えた餓鬼どもの群がる汚れた道の上で
僕は死に始めた、ころころと形を変える空の気まぐれの下で


何度も読み返した推理小説が読みかけのまま放置されている、それは僕に曖昧な状態で継続している命の定義を連想させる、屋上にもう食いたくなくなったパンを細かく刻んでばら撒いている、丸々と太った鳩や、雀や鴉らがどこかからやってきて、バイキング料理に群がる脂肪詰めの肉体を持て余した女たちのようにそれを啄んでいる、単純なアイコンを拒否しているとすべてが複雑に絡み合って、それを何と呼べばいいのか判らないなんてことはしょっちゅうだ―僕のアイコンは混沌を許容する、というよりむしろそれだけで成り立つものを喜んでいる、チェックシートを塗り潰すようなプライドなんか持ち続けても仕方がない、確信や直接性とは無縁の世界の中で僕は死に始めた、僕の混乱、僕の腐敗、僕の断末魔、僕の躯―それをフローリングに転がして僕を見限った何かは時の声を上げるだろう


ロック・バンドはスローなナンバーで息を整えている
太陽はひと時雲の中に姿を隠す
正午を告げるサイレンの後は不思議なほど車の通りも少なくなって
メイジャー・コードの循環は美しい庭の陽だまりを思い起こさせる
時間には縛りがない、過去も、現在も、未来も…気まぐれの中で自由自在だ、どんなものだって裏切れる、どんなものにだって忠誠を誓える


憎しみは心臓に集中する


僕は死に始めた、タービンは青白い煙が出るくらいに回転数を上げて、張り付けられた日常の連続の継目を焼き切ろうとしている、途切れるとき、それは新しい何かと繋がろうとするとき、折り曲げた膝をいつでも動かせるという気持ちさえあればいつだってそこに飛び込める、僕は死に始めた、一枚のディスクがハモンド・オルガンの響きと共に終わってからはトレイは沈黙し続けている、まるで新しい信号を待っているみたいに、僕は判っている、僕はすべて判っている、断絶と連結の連続、羅列すればすべて一本の線に見えるだろう


汗が流れ始めて筋肉は解れてくる、朝食を詰め込んだ胃袋はおどけた音を立てて食い物を見分している、座り続けたせいで神経が焦れている、殺戮の準備はとっくに整っているはずだぜ、羅列になんて何の意味もない、単語になんて何の意味もない、言葉になんて何の意味もない、すべては簡単に裏切ることの出来る出来事、僕は武器を手に入れて、片っ端から撃ち崩す、吐き出して意味を持たなくなったものたちが弾け飛んでいく


返り血を浴びて浴室に飛び込むと、足の裏にこびりついて凝固した血で滑り、冷たいタイルの上に腰をしこたま打ち付ける、僕は笑い始める、真実はいつでも滑稽な代物だ、笑い声が反響して、開いたままの小窓からそこら中に飛んでいく、四月の午後が滑稽に暮れていく




そら見ろ、僕は死に始めた!


自由詩 僕は死に始めた Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-04-17 13:46:01
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