愛がジャガイモのようだ
ユッカ

母親がくれたジャガイモとニンジンを洗い、味噌汁をつくる。泥がついている。うちの畑でとれたものだろう。でこぼことしたニンジンの表面をゆびさきでなぞっていると、すこし落ちつく。水と野菜の関係は、なんだかとても自然で。

母はわたしが学校に行くのをぐずり、「なんだか調子がわるい」と言うと、何も言わず、栄養剤とリポDを差し出すような人であった。思えばこどもの頃、つらいときに「どうしたの?」と質問をされたことがほとんどなかった。それに救われもした。あったかい布団、毎朝毎晩かならずテーブルに並べられる食事。病気になれば病院につれていかれ、剣道を習いたいと言えば道場につれていってくれた。愛されて育ったのだということがわかる。それでもお互いのあいだに分厚くそびえる、悪い空気に気づくとき、おもわず咳きここんでしまう。母を幸福にしたたくさんの思いこみを、愛せずにいる自分を、そうやってたいせつな人を試している自分の数々のことばを、なぜだろう、みじめに思ってしまうのだ。

どうして人は、思い出したいことだけを思い出すことができないのだろう。人を遠ざけることで、自分のなかにある後ろめたさも忘れてしまえる気がした。あきらめてしまいたいものが、あきらめてしまったものがあの街にはたくさんあるのに、時間がたったらそんなことも忘れて、わたしはあなたに優しい話をするのだろう。


自由詩 愛がジャガイモのようだ Copyright ユッカ 2016-03-11 22:23:50
notebook Home 戻る  過去 未来