生きようと思うのだ
ただのみきや

さて 生きようと思うのだ
遠く山並みは雪雲でかすみ 
いま街は晴れている
人通りの少ない週末の朝 
わたしは浅瀬の魚のよう
ぼんやりと光を纏い静止する
異国の歌が暫し寄り添い また 
去って行った 煙でできた女のように


新しい啓示はない
あちらこちらに痛みを抱えたまま
増え過ぎた不安の群れをこの先
どうやって養って往くものか


分かり切ったカードを捨てる
「いま生きている者が死に焦がれ
いま死に往く者が生に執着する」


傷だらけになりながら
自然の経絡は尚も巡り続ける
季節は厳しく
慈しみ深い


大河を下る浮島
わたしたちの頭の中にしかない
張りぼての現実
知りすぎた
それを知る前に
それについて知りすぎた
顔を寄せれば寄せるほど
細部は曖昧
雑な理屈のお喋りが
落ち葉みたいに死体を隠す
獲物の皮を剥ぐように
わたしはわたしを剥がされる
顔のない素体の
塞がれた叫びと亀裂


甘いシロップで一杯にされた
陶器のように滑らかな肌
ひとつの欠けもなく世間様を映す
だが情の緒に縛られまた弛められる正体は軟体
嵐に翻弄される洗濯物のように
本音と嘘を分ける遠心分離の間もなく
殻の中からこの世界へと
溶けるように 
浸み出てしまう
《魂ノ失禁 見ナイデ見ナイデ! 》
あたりを水浸しにして
その水底から尚も
のたうつ眼が追いかけた
壊れない人形の理想的振る舞い


新しいことでもなく
珍しいことでもない
ただ生きようと思うのだ


昨日
すぐ傍にカラスが止まり
こちらを見つめていた
嘴に少しの雪を乗せて
しきりにまばたきをしていた
モールス信号みたいに
その夜
川沿いを下りてきたキツネが
驚くほど傍まできて
暫し互いに見交わした
白い息で そっと
新しい啓示はない
やつらは語らない
あるいは語っていたのかもしれない
しかし心は手繰り寄せる
わたしに向かってわたしは語る
カラスの姿で
キツネの姿で
《生きよ そして 死ぬが良い 》


分かり切ったカードを拾う
「いま生きているのなら生を受け入れろ
いま死に往くのなら死を受け入れろ」


物質に過ぎないと言われる器から
生よ死よ永遠よと
かたわの翼が羽ばたいている
風花のように散りながら
ふと虚空へ微笑んで
――誰に?


世界一美しい花は誰も見たことのない花である
そんな矛盾を苦も無く信じて
左の肋骨の裏に刻んだ文字がある
さて 生きようと思うのだ
見たことのない花を愛でるように
見る者もいない花が微笑むように
秘密の合言葉のように




               《生きようと思うのだ:2016年2月6日》








自由詩 生きようと思うのだ Copyright ただのみきや 2016-02-07 00:05:41
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