混沌のクマ
オダカズヒコ




この4月にぼくは都会のアパートに引っ越してきた
窓を開ければ早稲田通りが見えた
車よりも多い人の列
駅へと向かう学生と通勤者
その眺めに
ぼくらはいくらか満足していた
奨学金を得て
親から独立した勇気と
この街にあると信じた未来に
ただそれは生き甲斐ではなく
たたき割られた
偶像に過ぎないことを知るまでは

世界の秘密は合図もなくひっぺがされ
生活に押し寄せる貧困が
ぼくの肉を削ぎ始める
19歳のぼくの眼には
空虚感からはい出した矜持と
世界に対する憤怒と孤独があり
やがてそれは
ぼくを混沌のクマにした
クマになった午後
ぼくは街を徘徊し始める
新宿紀伊国屋のエレベーターに乗り
高層の建築群に
毛皮をまとう
夕暮れに
ウジ虫たちの鎮魂がアスファルトを
パーッと染め上げる

新宿駅は
なんて寂しげな帆船だ
あのもの悲しさから
西新宿は
人間の孤独な意志によって
高層化し始めたのだ
ホームレスたちのねぐらを奪い
建物を高くすることで
嵐に傾く帆船を守ろうとしたのだ

東京はやがて左舷へと舵を切った
西の神戸で大震災が起こり
朝のテレビで
廃墟と化した町が写し出される
ぼくはそれをアルバイト先の職場で見ていた
オウムがサリンを撒いたとき
ぼくは山手線の目黒駅にいた
何かが起こったのだと思ったが

それらの事は
ぼくには全く関係のないことだと思った

ぼくには全く関係ない者たちへと落ちた
何かの
いかづちだと思ったのだ
満員電車の中では
誰もが

運ばれる意識を抱え
そのために無口であるか
饒舌であっても
雑談しかなかった

人生を見つめるには
あまりにも危険な空間だと
誰も憔悴しきった方式で
あのぜんまいの様に剣呑を抱えこんでいるのだ
今にも吐き出しそうな苦痛を
それが都会の民だと
ぼくは薄々感じ始めていたのだ

また春になって
冬眠からはい出したぼくは

十分な大人のクマになっていた
人間でいえば
25歳くらいだろうか?
愛を求めるには
あまりにも獣(ケモノ)じみていて
たくましい腕は
始終
人を傷つけた
他者の傷は自己の傷であり
股や脇の裏側にできる美しい病だ

病とは
例えば熱病であり
早朝の戸外で鳴く鶏の声のようなものであり
それは全身を震わせる自然の音なのだ
大気を震わせることは
動物であっても
畏れることだ
むろん
ぼくもその例外ではなく
グロウと啼いた後に
沈黙を夢魔として見て
人間の様に調子よく足を踏むのだ

復讐の文字を刻むために
陰鬱な職場へ向かうために
たとえば
思想を温める為であってもかまわない
たった一つの宇宙の中で
懶惰に生育するものに
ただ耽るのだ


自由詩 混沌のクマ Copyright オダカズヒコ 2016-02-04 20:15:21
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