あおい満月

(この男、殺したい )

私がはじめて、
胸のなかにナイフを握ったのは、
まさにこの瞬間だった。
その男は私に出会うやいなや

(アオイサンテ、
ソノ足ハ障害ナンデスヨネ、
トイウコトハ、就職ハ障害者雇用…)

あの!

思わず叫んでしまった。

某詩人の会の例会で。

その男は私と同い年、
いつも、夏は白いシャツ、
冬は黒いコートを着て。
虚ろな目で私を見ていた。

私には彼氏がいた。
彼はその男を悉く蔑んだ。
詩心のないただの学歴主義者だと、
彼みたいな男は詩人は辞めて、
黙って大学の研究室に籠っていろと。
私も当時は同感した。

*

ある秋の日、
私はその男と二人きりで、
ある反戦映画を観ていた。
それには理由があった。
その映画の鑑賞会を主催したのは、
私だったから。
某詩人の会の企画を私が立て、
希望者は彼だけだった。
その男は泣いていた。
罪なき主人公が、
A級戦犯として絞首刑に処される姿に、
私も泣いた。
主人公の妻が集めたという無罪の書名の行方に。

**

その男が映画に泣いた理由に、
私は口が半開きになった。
その男は映画の主人公が
戦犯で処刑されたのではなく、
あんな時代に生きて、
大学に進学できなかった主人公の、
人生に泣けたという。
私はその時、
何故か一箱のショートケーキの
箱を連想した。

***

今、
時代はどこへ向かうのか。
世界各地でテロや難民が膨れ上がり、
この日本もいつ食い潰されるのか、
わからない時代。
けれど、
日本の多くの子どもは、
将来は大学もしくは短大に通う道をいく。
かつての私でさえそうだった。
離婚したてで財力の弱い母が、
自分の弟や国の修学金の力を借りて、
私を地元の短大に上げた。

****

私は思う。
あの男はおそらく、
自分や他人を学歴や家柄やその人の特徴を
なんらかの箱のなかに納めて考えなくてはいられない人格なのだと。
私を障害者という箱に納めようとした、
あの男への感情がドアを叩いて甦る。

.(この男、殺したい)

******

遠い夏の日が甦る。
暑い縁側でまだ小学生の私が、
西瓜をかじりながら母親に聴いてみる。

(ねえお母さん、あのお父さんを殺したいと思わないの)

当時、
父の激しい金遣いと女遊びに
しびれを切らしていた筈の母の背中に聴いてみた。
振り返った母は笑顔で、
(バカだね。馬鹿を殺して刑務所に入る運命なんてお母さん送りたくないよ)

家の隅から、
蝉の声だけが聴こえていた。

********

(バカを殺して馬鹿を見る)

私はクスリと笑って、

多分あの日の母のように、

(この男、殺したい)

感情をびりりと破いて、
そっと春のような冬の風に溶かした。


自由詩Copyright あおい満月 2016-01-05 02:30:32
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