いのり
あおい満月

アンタガワルイノヨ、
ゼンブアンタガワルイノヨ、
アンタガ、
アンタガ、

三半規管を往来する
嗄れたあなたの声が、
私の耳から喉に谺する。
私は何故か言い返せない。
なぜなら私はあなたの娘だから。
私とあなたの間には、
内側にも外側にも、
越えてはいけない境界線があって、
飛び越えられる筈の踏切の線路でさえも
足首は震えたままこの髪を離さない。

*

ナンデアタシニ、
ナニモイワナカッタノヨ、
アンタハウソツキダ、
ホントウニワルイコダ、

私が幼い頃のあなたは、
よく私の頭を人前で叩いた。
今ではあなたはすっかり
忘れているけれど。
自分の子供はけして
他人の前では褒めてはいけないと、
あなたは繰り返した。
だから私は頭の悪い仮面を被って
行きたくもない学校へ通った。
仲間からは、
アシワル、デブ、
とからかわれ、
教師たちからはあきれられ、
私は健常な障害者として義務教育を過ごした。
母親は知らなかった、
ましてや愛人のもとで暮らしめた父親も、
私のなかで何かが不死鳥のように
砕け続けていく事など。

***

トオクへイッチャイケナイヨ、
オカアサンシンパイスルカラ、
フウチャン、フウチャン、
カワイイブサイクナフウチャン、

私が短大を卒業し、
社会人として生きて10年が過ぎても、
あなたは私を幼児扱いした。
私はそんなあなたと一緒にいるのが嫌で、
彼氏をつくり危険な遊びを繰り返した。
あなたは私を大事だと繰り返すが、
私の詩を褒めてくれたことはなかった。
それどころか、
知人から送られてきた詩集を皆、
ごみ箱にぶちこんだ。
お金にならない生き甲斐はいらない、
これがあなたの定説だ。
私はあなたのその鼻や耳や毛孔を
覆う皮膜を引き裂くために、
毎晩パソコンに向かい詩を書いた。
私にとっての生き甲斐はやがて、
燃え盛る復讐に変わった。

****

フウチャン、
オカアサンハネ、
モウスグシヌンダヨ、
ダカララクサセテクレヨ、
オトコナンカイラナイ、
ホシイノハオカネダ、
シナンカヤメテ、
モノガタリヲカイテクレ、
ヒャクマンエンヲアテテクレ、
アアアア、
ノドガカワイタヨモウダメダシヌヨ、

毎晩呪詛を繰り返しながら
あなたはお湯割りと
好物の筋子を舐める。
だいたいもうすぐ死ぬやつが、
呑気に高い筋子なんかよく食えるわ、
空の皿を壁にぶちまけたい感情を抑え、
鼻で笑ってみせる。
けれど、
私はまだ何処へも行けない。
この分厚い格子戸を打ち破り
救いだしてくれる腕がなければ。
私は空へ向かって感覚すべてを
研ぎ澄ませる。
私の祈りが聴こえた右腕だけに
今あるすべてを必ず託す。

*****

アンタガワルイノヨ、
アンタガワルイノヨ、
ミンナアンタガワルイノヨ、
アタシハシラナイ、
アンタガナントカシナサイ、
アンタガワルインダカラ、

三半規管に谺する、
母親の声が細い大蛇になって
耳から喉の奥に絡みついている。
三十年の時を越えた今も。

褒めてくれたことは、
一度もなかった、
私の目は、
本当の涙を知らずに森をさ迷っている。


自由詩 いのり Copyright あおい満月 2015-12-28 22:34:51
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