きれえごと
虹村 凌

石川和広さんの作文中にあった言葉を見て、何かを思いついた。
それを、したためてみようと思う。
少し、真面目に。

「愛と平等を否定する」と言う言葉。
俺も否定している。愛も平等も、基本的にありゃしねぇ、と思っている。
俺は神経性線維腫と言う病気を持っている。神経に沿って腫瘍が出来るのだ。

今も、首の中にある。下手すりゃ手術だが、肥大しなけりゃ切除もしない。
中学1年の頃に、一度手術をした。首の左ッ側にある腫瘍を取り除いた。
おかげで、林間学校に行ってない。結構、楽しみだったのになぁ。
今、首にあるのは右っかわ。背骨を挟んで…って言う意味での、右っかわ。
この首には、まだ手術痕がくっきりと残っている。

今でも覚えている。病院の一室で、両親と俺は、先生の話を聞いていた。
親父は深刻な顔をしていた。俺は、軽く考えていた。
母親は、もっと深刻な顔をしていた。しまいには、泣き出した。
何だか、俺が泣かせてしまったようで、すごく、申し訳無かった。

この線維腫の所為だと思われるが、後にアトピーになった。
神経をいじった為、筋肉が変な走り方をしていて、神経も変になっている。
しかし、この線維腫ばっかりは、親父も東洋医学では駄目だと思い、手術をしたのだ。

病室の窓から、新病棟建設の様子を、ずっと眺めていた。
空は、四角いのだと思った。
病院食は、不味いのだと知った。
小児科に入院していたので、周りに同年代が居なかった。
本を読んでいた。
絵を描いていた。
そんな毎日だった。

色んな病気の子供が入院していたんだろうと思う。
外の人は、汗にまみれて、一生懸命働いていた。
同級生は、尾瀬を歩いていた。

平等なんて、きっと無いんだと、思った。
欲しかった山登り用ブーツも、ドラムバッグも、リュックも、水筒も。
買ってくれるって、約束していたから、俺は楽しみにしていた。
尾瀬に行けるんだと、思っていた。
だから、期末試験にも出ないで、入院したんだと思っていた。
でも、実際の俺は、病室で、すっと横になっていた。
そこにあったのは、頭痛だけだった。


何年かして、アトピーになった。
運命とかあったり、神サマなんてのがいたりするんなら。
どんなにツバを吐きかけても、憎み足りなかった。
俺が今までにしてきた悪事の業なのか。
人を瞞したり、モノを盗んだりしてきた。
でも、世界が歪んでいるのは、俺の所為じゃない。
俺の顔が歪んでいるのは、俺の所為だとしても。
もし、世界が歪んでいるのが、俺の所為なのだとしたら。
俺の顔が歪んでいるのは、誰の所為だったんだろう。

平等なんて、ありゃしねぇんだ。誰も、平等になんか生きてやしねぇ。
きっと神サマなんてのは、憎しみを与えにきたんだろうよ。
ブラウン管やラヂオから聞こえる「平等」なんてのは、免罪符にしか聞こえない。
そんなモノを信じて生きている奴がいるなら、きっと其奴は幸せなんだろう。


平等なんて無い。そんな事を理解した。
誰もが電車で周囲にいる事を嫌がった。
クソ田舎のコンビニ店員が、顔を隠した俺を笑いやがった。
学校で指さして笑うクソ野郎もいた。

見てみろよ。平等なんかありゃしねぇ。
神もクソもありゃしねぇ世界だって、改めて気付いた。

そんな時の事。

友達の女に恋をした。それを詩にして伝えた。
友達と、その女に。1年後、俺はその女と時間を過ごした。
愛してた。そいつは一緒にいてくれた。それは愛だったと思う。
みんな笑いやがった。喫茶店のボーイも、ドーナツ屋の店員も。
笑いやがった。でも、そいつは一緒にいてくれた。
それって、愛だと思ってた。愛してたから、そう思いたかった。

半年で俺達は駄目になって、その女は、友達とヨリを戻した。
俺の事なんか、愛して無かったそうだ。愛なんて、無かったそうだ。

愛も、平等も無い世界に、また戻ってしまった。
でも、出来る限り、隣人愛って奴をバラ撒きたいと思っている。




しかし、そんなのは綺麗事であるのを、俺は知っている。
俺は、一般人…五体満足な人間になら、隣人愛ってのをバラ撒ける。
でも、全ての人間にバラ撒けるんじゃないってわかってる。
障害者達は、可哀想だと思う。辛いんだろうと思う。
これこそが、腐った感覚である事も知っている。気付いている。
だが、俺にはどうしようもない。助けてやれねぇんだよ。
ドアを開けてあげたり、車押してあげたり、そんな事しかできねぇよ。
でもよ、これって隣人愛でも何でもねぇ。やって当たり前の事だろう?

学校の近くに、障害者専用のスポーツセンターがあった。
同級生が「こん中ってよォ、変な声出しながらバスケしたりしてんだろー?」
と言った。反射的に
「てめぇマジで言ってんのか?それ。」
と怒ってみせた。実際に、その発言にはゴキブリ以上の嫌悪感を抱いた。
しかし、同時に、俺は何をしてるか知らないし、一瞬同じ事も考えた。
そんな自分は、とても、小さな人間である。

おなじ野郎が、滑舌の悪い友人に、こう言った事がある。
「オメーよォ、何言ってるかわかんねぇよ。パラリンピック行って来い」
瞬間にケリをくれてやった。何でこんな奴が、高校生やってるんだ。
生理的に、嫌悪感を抱く、その発言。
だがしかし、俺は障害者でも無いし、親族にいる訳でもない。
そう教えられただけなのだ。差別しちゃいけねぇって。
「平等なんだよ」って教えられたのだ。実物なんて見た事無ぇのに!!

妹の学校には、学年にひとつ、障害者だけのクラスがあった。
だから、妹は、障害者に何の偏見も持っていない。沢山、見てきたから。
そんでもって、彼女の隣人愛を以てして、彼らと接する事が出来る。

俺には、出来ない。平等だって教えられただけで、実際は知らない。
電車の中で見て、マネしていた小学校の頃もあったと思い出す。

俺は、その生理的嫌悪感を催す発言をするクソ野郎に、
蹴りを呉れてやる事で、
その「障害者を大事にしてます!」
ってのを自己確認させたいだけだ。
免罪符が欲しいだけなのだ。
本当は、そこには隣人愛なんて微塵もありゃしねぇのに。

そんな事、みんなわかってんだ。
障害者の人たち、みんなわかってんだ。
でも、俺等は、満面の笑みで、こう言うんだ。
「俺達は、平等。同じニンゲンなんだぜ」って。



嘘ばっかりだよな。嘘ばっかりだよ。
平等なんてありゃしねぇんだ。
それも、先天的に、平等じゃねぇんだよ。

「障害者」だなんて。自分たちを基準にして、言いたい事いってるよな。
同じニンゲンなら、そんな言い方しなくていいじゃんか。
障害者だなんて、平等な呼び名じゃねぇよな。
笑っちまうぜ。
障害者って読んでる奴等に向かって、「平等です」だってよ。
しかもそれを信じさせようとしてる。


そんなモン、100万円のツボ買ったら救われるって話の方が、よっぽど信じられる。


幼稚園の同級生に、小児麻痺の子供がいた。
彼は今、俺と同い年だ。身長は180cmあるそうだ。
彼にになら、隣人愛ってのを、あげられる。知っているから。
満太郎、元気か?リョウだよ。覚えてるかい?

キリストなんてのは、憎しみの感情を忘れさせない為に、
鬼が寄越した使いに違い無いんだ。平等なんて、ありゃしねぇんだ。
隣人愛なんて、ありゃしねぇんだ。
俺達の言う、平等なんて全部嘘さ。バレてんだよ、全部。


そんでも、どうしたって、隣人愛をバラ撒けない。
これからも、当然の事だけやって、助けた気になってんだろう。



そこに愛があんなら、平等も出てくるだろうけどな。




世界は、まだ十分じゃないね。そうだろ?満太郎。






そして、これから俺が恋し、何れ愛する事になる君へ。
何時か君が壊れたなら、もう俺は君を愛せない。恋せない。
逃げ出してしまうよ。君と一緒に、死んでしまうでしょう。
美しい、壊れる以前の記憶が消えない内に、ね。
きっと俺が壊れた時、君は逃げ出すでしょう。きっと、逃げ出すでしょう。



満太郎。俺はこれでいいのかね。
考え続ける事が、大事なのはわかってるが、それだけで済ます訳にはいかないよな。


散文(批評随筆小説等) きれえごと Copyright 虹村 凌 2005-02-19 18:55:07
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