ある日の雨が終わる時のイメージ
ホロウ・シカエルボク









そうだ、あの雨の音が聞こえるうちに、反響する雨粒たちの木魂が消え失せてしまわぬうちに、おれは正解を忘れて行き止まりの路地へと迷い込もう、その路地の終わりを見れば少しは休もうという気にだってなれるかもしれないさ…導かれる、導かれる、雨の音はとても不確かで心許ないから、だから逆に信じてみようという気にもなれる、なにかを確信してる、そんな意思に従ったってどんな有意義な結果も得られたりすることはないー終わりの見えている道など歩かない、そんなところを歩くくらいなら、行き止まりの路地を馬鹿みたいに真剣に、壁にぶち当たるまで歩いた方がずっとマシさ、勘違いしないでくれ、これは別に反抗なんかじゃない、奇をてらっているわけでもない…そうしたひとつひとつの選択の仕方が、きっと自分に必要な何かを作り上げていくんだって…ずっとそうして生きてきて、それなりの手応えを得てきたから、これからもそうやって生きていくんだよっていう、ただそれだけのことさ、人生にはゲームのような単純さやセオリーはない、常に灯りのない洞窟の中に潜り込んで、そこになにがあるんだろうって目を凝らしてるようなものなんだ、もしもあんたがそう思わないって言うんなら、そうだな、きっと、すでに調査が入っている、通路が整備されてライトに照らされた歩きやすいところに潜り込んだんだろうな、あんたの確信はきっとはるか昔そこを歩いた誰かの残留思念さーおれはその先がどうなっているのか判らない道を歩くことの方が好きなんだ、なあ、雨はまだ降ってる?おれの内耳を叩いていた雨はまだ重力に色をつけるように降り続けているのかい?少し入り組んだところに入り込んでしまった、ここからはうまく聞くことが出来ないんだ、雨はまだ降っているのか…それとももう止んでしまって、そこいらのアスファルトからもやが立ち上っているのか?街灯に照らされながら…人生はまるで次第に暗くなる道のようだ、見えていると思っていたはずのものは往々にして勘違いだったりするから…タブレットを取り出してマップを広げてみたところで、そうさ、実際に歩いたことのないところなんかそんなに上手く把握出来たりするもんじゃない、地図がどうして生まれたか知っているか?誰かが以前にそこを歩いたからだよーぼんやりと考え事をしているうちにおれはいつしか雨の音を忘れ、また雨の方でもおれという人間の存在をー容姿や息遣いを忘れ、そして空は何事もなかったみたいに黙り込む、おれはまだなにも起こってないみたいな顔をして何処とも知れぬところを歩き続けている…腕時計が夜光塗料でぼんやりと時刻を浮かび上がらせる頃には、今日という地図がどんな形をしているのか判るのかもしれない、雨はきっと知らない間に止んでしまったんだ、おそらくは聞こえなくなったあの瞬間にーそうと認識出来なくなった時点で、出来事は死んで化石になっていく、おれのかかとから後ろは死に絶えた奴らの死体ばかりさ、だけどおれはそいつらを抱き起こして、大丈夫かなんて声をかけたりはしない、それをした時点できっとおれもその死の中に含まれてしまうに違いないのだから…時々はやっぱり判らなくなる、自分がどうしてそんなところを選んで歩いているのか…いや、その場所を理解したいと言うわけではない、その、根源的な理由とでもいうものを…そういうものが、たまらなく奇妙なものに思える瞬間があってー思うにおれは、そういった現実の認識の仕方というものが少し標準的でないものがあるのだろう、自動販売機で売ってる様々な飲料の、不特定多数の味覚を考慮したがための進化の限界みたいなものを、おれははるか昔から身震いするほどに嫌悪してきたのだから…どんな未知ならいい?どんな未知なら愛して進むことが出来る?おれは傾向といったものを嫌悪するようになってしまった、歩くなら本当にそれについてなにも知らない方がいい、風が吹き始めた、きっと本当に雨は止んでしまったのだろう、記憶の中にまだ鮮やかに残るそいつらのイメージが鮮烈なうちに、引っ張り出してそこらへ書き連ねた、けれど、それはおれではなく、とうに死んでしまった誰かの、書かれることのなかった遺言のようにおれには思えて仕方がなかったんだ。










自由詩 ある日の雨が終わる時のイメージ Copyright ホロウ・シカエルボク 2015-09-13 22:53:35
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