【驟雨】志なかばでお亡くなりになられた松山椋さんへ
そらの珊瑚

 放課後、中学校の西向きの図書室には、まぶしいばかりの光が降り注いでいた。

 全校六百人ほどの生徒の中で、読書なんて今時流行らない趣味を持つ人は、おそらく少数派だ。調べ物ならパソコンで事足りるし、物語が好きならば漫画のほうが手っ取り早い。
 すすんで、といえば、きこえはいいが、本音は、気の進まない役をやるくらいならという実に消極的で小賢しい、私らしい理由だった。読書好きな私が、図書係に立候補した理由は。
 週に一回、放課後の一時間だけ、図書室の貸出しの手伝いをするのは、それほど大変なことでもなかった。
 というより、四方を本に囲まれているその中にいる時間は、心安らかだったといえる。他者とうまくやろうと始終びくびくしていた心のじっとり濡れた羽根を、その時間で乾かしていたのかもしれない。
 小さい頃から私は引っ込み思案な性質だった。人とのやりとりのささいなことで傷ついたり、逆に自分が人を傷つけてしまうのではないか、とか、考えすぎてますます殻に閉じこもった。
 そうして水が海を目指すように、しごく当然のなりゆきのように本が唯一の友達になる。本が語ることは、時に残酷であったけれど、それはフィクションであるという安心感があった。
 けれども心の奥底で熱望していたのは、紛れもなく人間の友達だった。

「これ、お願いします」
 何度か見かけたことのある、おそらく同学年の男子が、古びた文庫本を貸出カウンターに差し出した。
 セピア色に変色した図書カードの名前の欄に『松山椋』と書き込まれている。
 私は日時のゴムスタンプを、今日であることを確かめて、押す。
 2004.10.25と青いインクで刻印された。
「……なんて、読むの?」
 本のタイトルに『驟雨』とあったが、それは初めて見る言葉であり、思わず彼に聞いてしまった。
「たぶん、しゅうう、かな」
「へえ、なんかかっこいい」
「だよね」
 彼と話すようになったきっかけは、今でもはっきりと覚えている。驟雨の読み方は教えてもらったが、それがなんたるかはまだ知らなかった。
「……なんて、読むの?」
 彼は私の左胸のネームプレートを指差した。
「私の名前? せんの さりゅう」

 漢字で『千野砂粒』と書く私の名前を、初対面で正しく読まれたことはない。
 せんの、は、いいとして、下の名前は、たいていは、すなつぶ? と聞かれる。
 小学校の頃、正しい読み方を知ったあとも、あえて、すなつぶと私を呼ぶ、噛み終わったあと紙に包まれずに捨てられて靴裏にくっつくようなガムみたいな男子もいた。からかわれて、怒るというすべを持たない、いくじのない私は、そのたびになんでもない、ふりをして、やり過ごすしかなかった。
 私は自分がなんのとりえもない、ただのすなつぶになった気がして、ひどく嫌な気分だった。いっそのこと幼稚園の砂場に埋もれてしまいたいとさえ思った。
 そういういきさつもあり、自分のその名前も、もしかしたらこの世界そのものが嫌いだった。

「へえ、かっこいいね」
 まるでゲームのようなおうむ返しの会話は、そこまでだった。
「どこが?」
「だって、さりゅう、だなんて、かっこいいっていうしか、いいようがないよ。フランス語でサリューっていう単語もあるしね」
 初耳だった。自分の名前が行ったこともない外国の言葉であったことが、目の覚めるような驚きだった。
「どんな意味?」
「確か、さよなら、とか、こんにちは、とか、いわゆる軽いあいさつ、だったかな」
「さよなら、と、こんにちはが、一緒だなんて適当だね」
「うん、適当で、かっこいいね」
 さりゅう、さりゅう……私は幾度も心の中で繰り返す。それらは咀嚼されてポタージュスウプのようななめらかさになり、するりと私の胸に落ちてゆく。
 まるで離乳食を与えられた赤子のごとく幸せに満ち足りた。

 口に出して友達だと確かめたことはなかったし、彼もテレビドラマに出てくるような恥ずかしいことは求めなかった。おそらく友達というものはそういうものであったのだろう。
 私に裏表なく友達と呼べる最初の人は、眼鏡を掛けていて、とても物知りだった。彼の影響で私は『驟雨』の作者の吉行淳之介のファンになった。彼の描く世界こそ、まさに適当でかっこよかった。
 現代では失われた赤線について、話し合う中学生は私たちくらいのものだったかもしれない。わたしたちはよく、秘密を共有しあう同志のように、笑い合った。
 少数派のわたしたちは、それでも本はこの先もなくならないだろうと信じていたし、学校の辺境の図書室がなくならないとも信じていた。

 いつだったか、彼が話してくれたことがある。将来、生き延びて、自分が小説を書くことがあったら、その主人公の名前を、さりゅう、としてもいいか、と。とても控えめでいて、けれど芯のある声色だった。
 生き延びるだろう彼は、そしていつかきっと書くだろう。そして未来で私はもうひとりの私に出会うだろうと。それらは図書室の壁の丸時計の黒い秒針がひとつ進むほんのわずかな間に、私に落ちてきた直感のようなものだったかもしれない。或いは願いだったのか。或いは都合のよい祈りであったのか。
 彼は小さい頃から、身体が弱く、入退院を繰り返していたという。
 私は胸がいっぱいになり、ただうなずくばかりだった。

 あの時も、本たちがひっそりと息をしている図書室の窓辺から、見慣れた西日が降り注いでいた。彼はその光を浴びて、その人間の輪郭は透けそうなくらい、輝いてみえた。表情は伺い知れない。

 ああ、もしかしたら、この光こそ、すなつぶであり、驟雨ではないか。

 そう思い当たったのだが、言葉にして彼に伝えられなかったことが今でも悔やまれる。
 口を開けば、泣いてしまいそうだったから。


散文(批評随筆小説等) 【驟雨】志なかばでお亡くなりになられた松山椋さんへ Copyright そらの珊瑚 2015-08-26 09:51:57
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