KANASHIKI ZAKKAN
岩下こずえ
悲しき雑感
時々、怖くなる。なにがって、自分が変わっていくことが。そして、その変化をコントロールできないことが。僕は、これまで愛し続けてきたものをおなじように愛し続けたいし、そういう自分を失いたくない。なぜって、そうすることで、僕は、自分を自分たらしめているような、自分らしさを守ることができるから。自分らしさというものは、親密さが溢れる家みたいなものだ。帰ることができ、そこで休息し、安らぐことができる場所みたいなものだ。そんな場所がなくなってしまったら、僕はどうすればいい?
家が遠のいてゆく。いや、僕が家から離れていくのだ。それは、見ず知らずのほろ馬車に投げ込まれ、強引に身売りされてゆく子どものような心境だ。泣きべそをかきながら、惜しがりながら、引き離されてゆくだけしかできない感じだ。苦労して、なんとか築いた礎さえも、置いていかなければならない。それは、数え切れないほどの享楽をあきらめ、決して消え去らない後悔さえ背負いながら、なんとか築いた、本当に、僕の唯一の財産だったのだが。その代わりに僕に渡されるものは、何だというのか? ろくでもない荒野だけだ。またしてもゼロから始めなければならない、徒労感と無力さだけだ。そして、憎らしいほろ馬車の御者のほうを振り向けば、そこで手綱を握っているのは、なんとこの僕自身なのだ。これは狂気だ。自分自身に「歩みを止めろ!」と叫びながら、涙を流して懇願しながら、決してそれを止めないのだから。
景色が変わってゆく。持ち物が変わり、読む本が変わり、食べるものが変わり、心を寄せて尊敬していた人が変わり、書く言葉が変わってゆく。僕の周囲にいてくれた人々が変わってゆく。味方が敵の追手となる。好きだったものが嫌いになり、嫌いだったものを受け入れ始めている。・・・僕が、僕でなくなってゆく。
僕は、行く手に広がる荒野を見据える目であるよりかは、ほろ馬車の歪んだ車輪が残すわだちでありたいと思う。雨水に打たれたり、風に吹かれたほこりや土に埋められたり、雑草の根に崩されたり、人々に踏まれたりすることで、少しずつ消されてゆく痕跡であったとしても、予想もつかない、終わりなく景色を変えてゆく、残酷なものが横たわる荒野を見続けなければならない目であるよりかは、ずっとマシだ。何より、わだちであれば、僕は消え去るその瞬間まで大地に横たわっていられるのだ。
だが、現実には、僕は目だ。それも、カメラのレンズのように、目の前の世界を好きなように変容できない、否応なくそれに直面させられる、目だ。何が視界に入ってくるのか分からない。だから、僕は怖い。見慣れたものが見えなくなってゆくことも、怖い。
「それなら、帰りたまえよ。車輪の跡を確かめながら、郷里の家へ急げばいい。そこを守りながら、死ぬまで自適に過ごせばいい。」
ああ、本当にそれができればいいのだが。しかし、分かってくれるだろうか? 僕にとって、僕の背後の世界はすべて破産したのだ。すべて、僕にとって救いとなりうるような価値を引き抜かれてしまったのだ。それは、ごまかしようもなく消え去ってしまった。日々は色を失い、愚かなものに堕した。礎は、礎たりえなかった。
ならば荒野よ。もっと、硬くなれ。今度は礎が沈み込んでしまわないように。
大地よ。もっと、硬くなれ。わだちなど残らぬほどに。
目よ、そむけることなきほどに強くなれ。冷酷なオブジェクトたれ。
「じゃあ、この恐怖は、どうしたらいい?」
それは、君よ。ふるえつづけろよ。その弱さだけは、変わらずに持ち続けろよ。